会津磐梯山ウルトラマラソン2026(44kmの部)

福島県で開催された会津磐梯山ウルトラマラソンに参加しました。2024年以来、2年ぶりの参加になります。前回は最短のカテゴリーが40kmの部で、筆者が目標としているフルマラソン以上の距離という条件を満たしておらず、やむを得ず65kmの部に参加しました。しかし、45km付近で段差に足を取られて転倒し、残り距離と時間を考えてリタイアを選択しました。今回は昨年新設された44kmの部に参加しました。完走できれば47都道府県マラソン(フル以上・2周目)の福島県をクリアできます。

この大会は前日受付が必要なため、新幹線と在来線を乗り継いで猪苗代駅へ向かいました。駅からは大会のシャトルバスで会場の「カメリーナ」へ。前回はなかったバスですが、もしかするとクマ対策なのかもしれません。

受付を済ませた後、徒歩で予約していた民宿へ向かいました(約20分)。チェックイン後、夕食と翌朝の朝食を買い出しに出かけます。総菜屋さんで地元名物らしい「スタミナかつ」(餃子餡を衣で揚げたもの)を購入。これがとにかくニオイが強烈で、宿に戻っても存在感がすごかったです(笑)。でもエネルギーになりました(なったはず)。総菜屋さん近くのスーパーで主食や副菜、翌日の朝食用のパンも購入し、入浴・食事を済ませて22時頃に就寝しました。


当日朝は6時に起床し、購入しておいた朝食をとり、プランクやストレッチなどの日課をこなして準備を整えました。7時20分に宿を出発し、7時半過ぎにカメリーナに到着。8時にスタート地点へ向かうバスに乗車しました。

スタート地点の旧オープス磐梯には15分ほどで到着。しかしスタート時刻は10時。1時間半以上の待ち時間があり、正直かなり暇でした。バスの時刻は改善してほしいところですが、100kmの部のドロップバッグ輸送を兼ねているようなので難しそうです。

旧オープス磐梯はかつて場外馬券売り場だったようで、ネット販売の普及により閉鎖されたとのこと。ハコモノのあと始末は大変ですが、良い使い道が見つかることを願います。きれいな建物なのですが、トイレが和式とかちょっとした古さも感じました。

44kmのスタートは旧オープス磐梯
44kmの部スタート前です

今回の44kmの部には27kmと37kmに関門があり、それぞれ4時間45分、6時間15分に設定されています。ゴールの制限時間は7時間30分です。フル+1.8kmと考えればかなり余裕がありますが、山岳コースであることを考えると油断はできません。「1kmあたり9分で進めば関門は問題ない」という目安を設定し、たとえば3km地点では27分(9×3=27)に対してどれだけ貯金があるかを確認しながら進みます。

スタート直後の下りは快調でしたが、すぐに平坦、そして上りへ。2km付近から本格的な上り坂になり、序盤でも迷わず歩きを入れました。それでもラップは9分前後で、順調に貯金を作れていました。

坂を上りきると、目の前に再びオープス磐梯が登場。スタッフさんの「おかえりー」に違和感を覚えましたが、本当に“おかえり”でした。コース図をよく見ていなかった証拠です(笑)。

ここが最初のエイドで、おにぎりをいただきました。ただし水が無く、スポーツドリンクとお茶のみ。かけ水用の水は冷たすぎて心臓が驚くレベルでした(手をすすぐだけにしてよかった)。おにぎりは、この大会で最後の“お腹に溜まる系”の補給となりました。エネルギー補給は自前で用意するのが良いと感じました。

おにぎりをいただきました

エイドを出て下り坂を進むと、田んぼの中のなだらかな道へ。ここで緩んできたポーチのベルトの長さを調整し、ボトルの跳ねを抑えました。

大きな道路に出て左折すると、磐梯山眺望地点が近づいてきます。左手には美しい景色が広がり、2年前にも写真を撮ったことを思い出しました。10km過ぎの地点で、ラップは7〜8分台を維持。順調といってよさそうです。

磐梯山眺望地点付近から
ランナーの密度はこれくらいです

翁島駅近くで信号待ちの後、踏切を渡るとヤマザキショップが見えてきました。2年前、熱中症になりかけていて、ここの自販機で買ったドリンクを飲み干して、まるでオアシスのようだったことを思い出します。

住宅地を抜け、高速道路の側道を通り、アンダーパスを抜けると本格的な上り坂が始まります。坂を上ったところで「南ケ丘牧場」の看板が見えてきました。ここが16km過ぎのエイドです。ここでは水とお菓子を補給しました。

エイドで水分補給を欠かさずに

ここからは非舗装のダート区間。記憶通りでした。今回も天候に恵まれていて助かりましたが、ぬかるんでいたら悲惨です。ダートは上りでラップが9分台に落ち、初めて貯金を切り崩しましたが仕方ありません。下りは慎重に進みつつ7分台に戻しました。

ダートを抜けると天鏡閣のある公園へ到着します。天鏡閣は明治時代の洋館で、有栖川宮家の別邸でした。現在は文化財として公開されています。18km地点です。ここのエイドでコーラをいただきました。さらに水分も補給し、バウムクーヘンをポケットへ。公園内は走行禁止で徒歩移動です。天鏡閣と有栖川宮さまの銅像を写真に収め、公園を出てランを再開しました。しかし、この直後に悲劇がありました。

天鏡閣。中に入ってみたい
有栖川宮威仁親王像。宮家は断絶していて話題の養子縁組の対象ではないそうです

公園を出てすぐの下り坂で、突然転倒しました。エイドの補給で安心したのかもしれません。油断があったのだと思います。視界が地面に変わる瞬間の0.5秒で「やってしまった」「どうしよう」「どれくらいの怪我だろう」と様々な思いが駆け巡り、次の瞬間には路面に座り込んで呆然とするしかありませんでした。

右半身を中心に膝・肘・すね・手のひらに多数の傷。出血もありました。天鏡閣のエイドに戻って処置するか迷いましたが、先へ進むことを選び、手持ちのバンドエイド(準備がいいですね・・・笑)と水で応急処置をしました。ひざや手のひらなど可動部の傷は止血困難で、バンドエイドではどうにもならない状態でしたが、ほどほどの処置で済ませるしかありません。

2年前は45kmで転倒してリタイアしましたが、今回は絶対にリタイアしたくない。そう強く思い、痛みに耐えてランに復帰しました。転倒直後の1kmは16分台。仕方ありません。その後は8分台を維持しつつ、信号待ちで9分台になることもありました。

22km付近で平坦な道路を離れ、野口英世記念館近くのアンダーパスを渡って湖畔へ。サイクリングロードに入るとアップダウンがなく走りやすいはずですが、転倒の影響か疲労か、ペースは戻らず8〜9分台が続きました。

25km過ぎ、サイクリングロードを抜けて左折するポイントは2年前に転倒した場所です。ここには「段差に注意」のパネルが掲示されていて、スタッフさんが「段差に気をつけてください」と注意を呼びかけていました。これは間違い無くわたしのせいです。

そしてその注意を呼びかけているスタッフさんは、2年前に私を助けてくださった方でした。「もしかして・・・」と話しかけてみると、「戻ってきてくれてよかった」としっかり覚えていただいていました。スタッフさんも嬉しかったようで、がっちり握手。傷ついた手が痛かったのは内緒です。再度参加してよかった。そして転倒しても走り続けてよかった。こういう再会は本当に心に残ります。

26km付近の道の駅の前で応援の同行者が待ち受けていました。道の駅に立ち寄っていた模様です。ゴール後に使用したいので、大きめの絆創膏の購入を依頼しました。「またか・・・」と呆れていたと思います。前日に寄ったスーパーに隣接してドラッグストアがあったことを確認して、そこで購入をお願いしました。いつも申し訳ない・・・。

27kmの第一関門は手元計測で45分以上の余裕を持って通過しました。ただし終盤のアップダウンと負傷を考えると、貯金は多いほど安心です。ここのエイドで愛用している「焼酎ワンカップのプラカップ」をマイカップとして使っていたところ、スタッフさんから「これはボトル扱い」と指摘されました。何の問題があるのか意味不明であることに加え、大会の規約にそんなことが書かれている記憶もありません。実際、後日事務局に確認したところ「問題なし」との回答でした。スタッフさんに悪気はないのだと思いますが、こういうちょっとしたことでもメンタルに少し響きました。

関門の先にあったコンビニで絆創膏を補充し、出血に備えました。小さいのしかなかったので不十分でしたが。

幹線道路から田園地帯へ入り、ラップは9分台へ。30km付近で右折すると、目の前に急坂が現れます。進むにつれて斜度が上がるのが目に見えてわかり、走れる気がしません。31km付近でついに歩きに転じると、もう戻れません。それでもできる限り速度を落とさないように進みました。

眺めがよかったので写真。転倒以降は写真少なめです

途中、四つん這いで動けなくなっているランナーさんを発見。周囲に民家がなく、交通量も少ない場所で、クマの心配があります。取り残していくわけにはいかないと思い、話しかけて様子を聞き始めたとき、スタッフがすぐに駆けつけてくれました。クマについては、このあたりは特に気が抜けない区間でした。筆者は常にクマ鈴をつけて走っていました。

坂を上りきるとスキー場のエリアに入り、おそらく応援にかけつけている人の声が力になりました。ホテルなどが並んでいますが、営業期間外と思われ、建物内に人の気配は感じませんでした。下りと上りを数回繰り返し、往復区間の先に37kmの第二関門がありました。手元の計測では38km付近で5時間40分でした。関門まで35分の余裕がありました。

残り7kmになりました。制限時間までは1時間50分あるので、全部歩いても間に合う状況ですが、負傷の悪化や不測の事態を考えると油断できません。ここからは基本は下り坂ですが、肋骨が痛み始めました。転倒時にひびが入ったのだと思います。下り坂は振動が大きく、この期に及んで痛みに気づいたのだと思います。

39km付近の最後の給水を過ぎ、41kmで信号ストップ。青信号だったのでそのまま通過できるかと思ったのですが、直前で点滅に変わるという悪い流れでした。こういうのは笑ってやり過ごすしかありません。

ここからは田んぼの中の道になります。景色の変化がなく、足が前に出なくなります。残り3km、歩きと走りを繰り返しながら進みました。見覚えのある体育館が遠くに見え、左折すると徐々に近づいてきます。横断歩道を渡り、公園に入ると、ゴールゲートが見えました。スタッフさんがテープを用意してくださり、無事にゴールしました。

ランナーがゴールするたびにテープを準備してくださっています

記録は 6時間35分。制限時間に55分の余裕があり、心からホッとしました。距離はフル+αですが、アップダウンと負傷の状況を考えると十分満足できる結果です。

ゴール後は振る舞いのそばをいただき、体育館の更衣室でシャワー(5分100円)を利用しました。傷が多いため全身は洗えず、腕や足の傷周辺だけを水洗いし、同行者に購入してもらった大型絆創膏で応急処置しました。自宅まではこれで大丈夫でしょう。

おいしい蕎麦でした!

長居せずに会場を後にし、路線バスで猪苗代駅へ向かいました。ちょうど郡山行きの列車がホームで信号待ちをしており、運良くこれに乗車できました。このおかげで郡山からの新幹線は当初予定より早い便に乗ることができ、22時前には帰宅することができました。

帰宅後に傷を確認すると、かなり広範囲にわたっていて、出血も続いていました。シャワーで改めて消毒し、キズパワーパッドで対処しました。これで当面は大丈夫でしょう。翌日を在宅勤務にしておいて本当に良かったと思います。

前回に続く転倒、負傷ということで、この大会はわたしには鬼門なのかもしれません。ちなみに、その後の情報によると時間帯によってはクマの目撃情報もあったらしく、そこだけは出会わなくてラッキーでした。

今回の完走で、47都道府県マラソン(2周目)は 42県目 をクリアしました。残るは奈良、徳島、鳥取、佐賀、宮崎の5県です。奈良ウルトラを完走できなかったことが本当に悔やまれます。体中が痛いのでランは少し休みます。流浪のマラソン、次(7月のキャベツマラソン)に向けて精進します。