鹿児島県の最南端・与論島で開催された第28回ヨロンマラソンに参加しました。この大会への参加は20年ぶり4回目になります。かつて3回連続で参加したものの、その後長いこと途絶えてしまっていました。今回、最後に参加してから20年になることに気づき、参加してみてもいいかなと思い始めたら、かつて味わった島のみなさまの暖かいおもてなしに再会したい気持ちが抑えられなくなり、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで(大げさ)参加することに決めました。
離島での開催ということもあり、当日中に関東に帰ることはほぼ不可能です。最低でも前日入り、翌日帰還の2泊3日の日程になります。いくつか企画されているツアーのうちの一つに申し込み、2泊3日の飛行機と宿を確保しました。行きは鹿児島空港で乗り継ぎ、帰りは那覇空港で乗り継ぎというルートです。宿泊はコテージ型の宿泊施設で大会のメイン会場からはタクシーで5分くらいの場所になります。ちょっと不便ですが、プライベート優先の選択です。なお、20年前に泊まったホテルは数年前に廃業したらしい。建物だけ廃墟のように残っているようです。また、鹿児島や那覇と与論島を結ぶ路線はプロペラ機のみで、20年前はYS-11が飛んでいましたが、いまは引退して別の機種が飛んでいます。天気予報は土曜日から日曜日にかけて荒天の予報。特に大会が予定されている午前中は豪雨の予報まで出ている状況でした。
大会前日の土曜日、予定より少し遅れましたが空路で鹿児島を経由して与論空港に到着。町の皆さんが歓迎の横断幕を持って到着の参加者たちを迎えてくれます。常連さんを中心に民宿の方々が出迎えをしている方もいます。筆者は宿泊先のバスをみつけて乗り込みました。意外と人数少ない。バスは5分程度で宿泊先に到着。チェックイン後すぐに軽くランチ。夜の早い時間にウェルカムパーティーが控えているので、ランチは軽く「よもぎそば」だけにしておきました。本当は少しでも近辺の散策でもしたかったのですが、あいにくの雨。しかも時折強く降ったりするので、あきらめてしばし部屋で待機。
15時から宿泊先が用意してくれたコース下見バスに乗車。スタート地点から往路のみですが、コースの通りに走り翌日のイメージを持つことができます。過去に走ったことがあるので下見不要かとも思ったのですが、はやり時間が経ちすぎているので下見しました。バスはいったんスタート地点の茶花海岸へ移動。ここからコースに沿って走り始めます。いきなり商店街ではっきりした上り座に入るなど、平らなところがほとんど無いことを実感しながら小1時間かけて島を一周。相変わらず(変わらないのは当たり前)厳しいコースです。島をほぼ一周して、折り返し地点に到着。このコース、やはり大変だ・・・。バスがいったんスタート地点近くに立ち寄ったので、前日受付(ナンバーカードの受け取り)もこのタイミングで済ませてしまいました。宿泊先に戻ってから改めて受け付けに(またバスで)移動するのは時間的にも大変だと思っていたので、助かりました。
いったん宿泊先に戻り、夕方、再びバスに乗りウェルカムパーティーの会場へ移動。この日は到着直後から雨が断続的に降っており、天気予報をたびたびチェックするが微妙か感じ。翌朝にはくもり一時雨くらいの予報になっているが・・・。この移動中は比較的雨は小康状態でした。さて、ウェルカムパーティー。大会エントリー時にパーティー参加を申し込んでおく形式。郵送物の中にパーティーの参加券が同封されています。ドリンク(アルコール2本、ノンアルコール1本)とちょっとしたオードブルが配布されます。小学生によるプレゼンを聞き、開演を待ちますが、フライング気味に飲み始めました。町長の挨拶、そしてゲストの谷川真理さん、五郎谷俊さんによるトークショーが始まると徐々にパーティーはヒートアップ。フラダンスチームや地元舞踊のみなさんの演技も盛り上がりました。そしてメインイベントは地元?バンドのみなさんによる演奏がはじまると最高潮に。ステージ前では明日走るはずのランナーが何重もの列を作り、踊りはじめます。えーと、みなさん、本当に明日走るのですよね・・・。黒糖焼酎も振舞われ与論献奉も始まってます。これは、雨も吹き飛びます。
バスで宿に戻り、売店で食料を追加購入。パーティーの食べ物では少し物足りないので。部屋に戻り、風呂に入った後に追加飲食。靴に計測チップ、ウェアにナンバーカードなど準備も完了。あとは寝るだけ。窓の外からは強い雨の音が聞こえてきます。どうなることやら。
当日朝、雨はとりあえず上がっているようです。6時半に朝食会場へ。あれ?一番乗りでした。9時にレースがスタートなので、6時半では遅いくらいなのですが。みなさん昨晩の疲れが残っているのかもしれません。奄美の名物「鶏飯」もありました。しっかり食べてエネルギー充填。部屋に戻って着替えなどの準備を整え、7時45分くらいのバスでスタート会場へ移動。気温はしっかり上がっていて半袖シャツに短パンで十分なコンディションでした。スタートを待つ間は、開会式、谷川真理さんの指導によるウォーミングアップなど。
フルマラソンのスタートは午前9時。予定通りの号砲。ざっと300人程度に見えました。ちょっと少ないような気がしますが、こんなものだっただろうか。スタート直後に商店街を抜けるところでいきなり上り坂。体が順応していない感じで早くも息切れ気味。後からGPSの記録を見ると必要以上にスピードを出していたようです。商店街を抜けるところで与論郵便局のみなさまも熱い応援。ありがとうございます。海岸線に戻ったところで同行者に遭遇。いつもありがとうございます。
ここから宿泊先に至るルートが二つ目の上り坂。ここもしっかりした上り坂を通らなければなりません。以降、坂道の数はキリが無いので数えません。再び息切れしながら宿泊先の前を通るとスタッフが宿泊者向けの写真を撮影していました。目印のリボンを見せてしっかりカメラに収まりました。
なお、雨は気になるほどではないものの、降ったりやんだりという感じでした。途中しっかり降られた時間帯もありましたが、どこで降られてどこでやんでいたか記憶が定かでないので、天候については省略します。
キョロキョロしながら走っていると、沿道にヤギの姿が。一段高いところに上ってランナーの方を見ています。わたしが通過したら「メー-!」と雄叫び。ヤギさんからランナーへ応援だったのでしょうか。ヤギの他にも飼育されている牛の姿も多数見えます。そんな中を走りながら、序盤の難所である7km地点に向かいます。ここは島南端の高台。ここからは気象条件次第ですが沖縄本島が見えます。沖縄が返還されるまでの間、与論島は日本の主権が及ぶ最南端でした。沖縄本島の島影は、往路ではいまひとつはっきり見えませんでした(復路で見えました)。坂の上のエイドではJALのCAさんがお出迎え。復路でもよろしくお願いします。
この高台から下る坂の途中で風力発電の風車が見えました。これは20年前には無く、当時と大きく違う風景のひとつでした。違うといえば、20年前にはまだスマホはもちろんのこと、デジカメも持っていませんでした。だから走りながらコースの写真を撮るなど考えもしなかったと思います。たしか翌朝にチャリを借りて前述の高台に改めて写真を撮りに行った記憶があります。もちろんフィルムカメラです。当時PHSくらい持っていた気もしますが、カメラなんて搭載されていないし、持って走るなんてこともないし、そう考えると隔世の感があります。
このあとも微妙な規模のアップダウンを繰り返し、折り返し地点に向かいます。折り返しの手前で大きく上り、かなり疲弊した状態で折り返し地点に到着。折り返し前の坂道では少しだけ歩きも入ってしまいました。こんなに早めに歩くなんて・・・。折り返しには再び同行者が応援に来ていました。雨の中を移動してきてくれてありがとうございます。ここでゴール目標タイムを伝えました。4時間50分。控えめな目標ですが、だいたいこの通りの結果になりました。ハーフ地点には2時間10分くらいできていたのですが、もうかなり脚にダメージがあり、復路のタイムは全く望めませんでした。
復路に入ってすぐ島のお年寄りのみなさんがテントで応援していらっしゃいまいした。ありがとうございます。元気に鳴り物など使って応援いただきました。そして、その先の私設エイドではレモンのゼリーをいただきました。これは美味しかった。ありがとうございました。
復路はここまで走ってきたルートを折り返すコースなので、一度は目にしているのでイメージが沸きやすい。序盤の難所の裏返しが35km地点付近にあたり、ここに向けて32kmくらいから小刻みに平坦な区間を挟みながら、徐々に上っていきます。坂の途中で疲れ果てて歩いていると、おそらくこの大会に初参加と思われる2人が歩いていました(背中のナンバーカードに自由記入欄があるので、何となくわかるのです)。そのとき往路では見えなかった沖縄本島の島影がよく見えていたので、「沖縄が見えてますよ」と教えてあげました。我ながらのんびりしたものです。そんな感じでゆっくりと坂を上り、頂上に到達。再びCAさんに迎えていただきました。ついでに写真もお願いしました。もう観光モードに入っています。
ここからの下り坂でようやく速度を回復。普通に駆け下りて残り5km強くらいになりました。今回は直射日光を浴びる時間がほとんどなかったので、この点ではダメージが少なかったのかもしれません。しかし坂を下りきって平地に入ってからはゆっくりと走る、早足で歩くの繰り返しでした。途中、飼い猫と思われる白猫さんが走路でくつろぎ中。人なつこい猫で、1分ほど足を止めて無駄に時間を使ってしまいました。ゴール後にバスで一緒だった方たちによれば、かなりの割合のランナーがこの「猫トラップ」に引っかかっていたようです。
そんなこんなで再び宿泊地の前を通過。もう一度写真をとっていただきました。宿泊客の目印となるリボンはいつの間にか外れてしまっていました。折り返しの時点でもう無かったかもしれません。でもしっかり宿泊者だと認識されていた模様。残り2kmくらいのところで最後のエイドに立ち寄り。ここからは「ひまわりキッズ」に併走していただけるはずでしたが、走ってくれそうなキッズはいない・・・。仕方ないのでとぼとぼと一人でゴールをめざします。途中同じようなペースの方々と言葉を交わしながら笑顔でゴールできるように走りました。ラスト500mくらいのところで谷川真理さんがお出迎え。悪天候の中、ありがとうございます。
結局4時間55分でゴール。最初からタイムは追わないレースではありますが、やっぱり遅すぎ。これで直射日光があったらもっと厳しいタイムになっていたでしょう。その点では恵まれていた方なのかもしれません。
ゴール後、少しだけ物販エリアを物色。島全体がペイペイで支払いができるように打ち出しているようで、物販エリアもペイペイに対応していました。筆者はペイペイ使っていませんが。宿に向かうワゴンに乗車。このワゴンに向かうとき、雨脚が強くなりました。ゴール後で良かった・・・。
この大会はレース後の「完走パーティー」までがマラソンです。本来は茶花海岸で行われるはずのパーティーですが、強風も時折混じる悪天候のため室内(ウェルカムパーティーと同じ砂美地来館=さびちらかん)で開催になりました。宿泊先からバスで向かいます。みなさんバスの乗り降りで足を引きずっていらっしゃる。わたしはあまりダメージ無さそう。苦しくなったら歩いていましたので。無理しなかったせいです。
パーティーではアルコール飲料、お茶、つまみ(練り物)が支給されました。ちょっとボリューム感がないので、まずは会場に出店しているお店で生ビールを購入。支給されたつまみをいただきながら、これを飲み干し、支給された缶ビールも飲みました。黒糖焼酎「有泉」を大きな杯でいただき、飲み干したら頭の上で杯をひっくり返す(カラになりましたよという合図)をする「与論献奉」もはじまっています。わたしも「ミスハイビスカス」さんから一杯いただきました。ミスハイビスカスさんはこちらからの杯も嫌がることなく飲み干してしまいました。強いんだなあ。ちなみにゲストの谷川真理さんも大きめの杯を難なく空にしていました。谷川さんもお強いようです。谷川さんの近くにいたところ、運良くツーショット写真を撮らせていただけました。20年ぶりの参加で20年前より遅かったことをお話しすると、「当たり前です!」と断言されてしまいました。この大会はともかく、他の大会ではいい勝負しているのですけど・・・。「でもランニングを長く続けてください」というありがたいお言葉もいただきました。ありがとうございます。細く長く続けようと思います。
パーティーお開きのあとは会場から徒歩で退出。雨は上がっていました。暗い夜道でしたが茶花海岸方面へ出て、居酒屋で食事の続き。パーティーのつまみだけでは若干ボリューム不足のため。食事後、近くのスーパー「オーシャンマーケット」でさらにつまみを追加。タクシーで宿泊先に戻り、部屋飲み開始。飲んだ飲んだ。
翌日は月曜日。朝食後、10時過ぎのバスで宿泊先から空港へ。有給休暇を取って若干の罪悪感を感じつつも、ときどき会社のメールをチェックして現実に引き戻されます。当初予定では午後3時前くらいには羽田に着くはずが、与論を出る飛行機が大幅に遅れ、この影響で那覇から羽田に戻る便に間に合わず遅い便に振り返られ、結局羽田到着は午後6時頃。明るい時間のうちに帰宅するはずが、暗くなってからの帰還になってしまいました。那覇で時間ができたので沖縄そばを食べる余裕ができたのは嬉しかったかもしれません。
というわけで、20年ぶりのヨロンを満喫したものの、手放しで喜んでいられないものも感じました。フルマラソンの参加人数、こんなに少なかったっけ?と思ってここ10年くらいの記録を見てみると、今回は300人に満たない人数でしたが、10年前は500人を超えていました。都市型の鹿児島マラソンが同時期に開催されるようになり、もしかしたら集客に苦しんでいたりしないでしょうか。新しいマラソン大会が次々と生まれて差別化が難しくなったりしてないでしょうか。濃いリピーターは多く来島しているものの、新しい参加者を開拓していかないといずれリピーターが高齢化して脱落していく頃には苦しい時が来てしまう気がします。幸い、ハーフのコースには初参加の若いランナーも多く走っていたように見受けられます。こういう人に島の魅力を感じてもらい、新しいリピーターになってもらわないと。それと、宿泊施設が減っているようですが、これも深刻な問題かもしれません。スタート会場近くの与論島観光ホテル(20年前に泊まりました)が廃墟のようになっていたのがさびしく感じられました。過去にリピートしていながら20年も間をあけてしまった筆者がこんなことを書くのもたいへん失礼なことですが、大好きなヨロンマラソンの将来を心配してのこと。ご容赦いただければと思います。
次は20年後とは言いません。2年後の30回記念大会に参加するのも魅力的ですし、オリンピックみたいに4年に一度というのもいいかもしれません。近い将来、また帰ってきたいと思います。大会が末永く続くことを願っております。