ヨロンマラソン2023

話は大会前々日の金曜日から始まります。金曜日は仕事を早めに切り上げさせてもらい、夕方の便で那覇へ移動。翌朝(土曜日)の上りフェリー(那覇発、鹿児島行き)で与論に向かう予定です。フェリーは那覇港を朝7時に出発するので、これに乗るには那覇に前泊する必要があるのです。那覇から与論を飛行機にすれば土曜日移動で完結できるのですが、那覇での宿泊費を入れてもフェリーの方が飛行機より安いのでこの方法にしました。

金曜日、仕事の合間にTwitter(X)を見ていると、土曜日に与論に到着する下りフェリー(金曜日鹿児島発)が悪天候のため与論を「抜港」(ばっこう)するとの情報が入りました。「抜港」とはフェリーは運航するが与論には寄港せずに通過してしまうという意味です。鹿児島からこのフェリーで与論入りしようと思っていたランナーは代替手段を考えるか、参加自体を取りやめるしかなさそうです。これは下りフェリーの話ではありますが、天候状態を考えると土曜日の上りも怪しいのではないかとの見方をする人もいました。いや、それは困ります。那覇で足止めされては何をしに那覇に行くのかわからない。不本意ながら土曜日の那覇発与論行きの飛行機を予約しました。ただし支払いは保留して、フェリーの様子を見ることにしました。

夕方の便で那覇に到着。割と遅い時間だったので、那覇の町に繰り出すことは控えて予約したホテルへ向かいました。フェリーを意識して那覇港に近いホテルをとっていました。でも、フェリーがダメで飛行機になってしまうと、ここに宿を取った意味がありません(笑)。そうこうしているうちにフェリー会社(エーライン)のウェブサイトで「条件付き運行」(抜港の可能性ありという意味)を表示していたのが「通常運航」に変わりました。抜港の可能性は低くなったと判断し、飛行機の予約をキャンセルしました。フェリーに賭けることにしました(つまり当初予定通り)。ホテル近くのコンビニで夕食と翌朝の朝食を購入し、ホテルで夕食を済ませました。あまり沖縄らしい夕食ではありませんが、やむを得ません。

翌朝5時半に起床。ウェブサイトは「通常運航」のままです。出港の1時間半前なので、もう大丈夫でしょう。朝食は船内で食べることにして、準備を整えてチェックアウト後、那覇港に向かいました。乗船手続きの列ができていて、かなりの割合でヨロンマラソンの参加者と見受けられました。朝7時に那覇を出て11時50分に与論に到着する約5時間の船旅になります。

予定より少し遅れて那覇港を出発し、普段より相当揺れましたが、20分遅れくらいで無事に与論港に到着しました。船内では朝食後にひたすら読書していました。といってもiPadにダウンロードしておいた電子書籍です。リアル本では荷物が重くなりますので、こういうときは電子書籍が便利です。読書のほかには船内を徘徊。デッキやレストラン、売店などを見て回っていました。売店は営業時間が限られていて、ちょっと残念です。レストランも与論までの間は営業していませんでした。

ちなみにフェリーの2等船室(雑魚寝)は酒を飲んで大声で話す人が周囲にいて、迷惑そのものでした。歳を取ると耳が遠くなる結果、会話の声が大きくなるような気がします。そこにアルコールが加わっているのでタチが悪い。話している内容も同じ話を繰り返していて、嫌でも耳に入ってくるので徐々にイライラを感じてきます。こんなのがランナーかと思うと本当に恥ずかしい思いです。席が指定だったので他の席に移るわけにもいかず、困りました(5時間耐えました)。会話の内容からすると、この迷惑な人は来年の隠岐の島ウルトラマラソンに行くそうです。隠岐に行く予定の人、フェリーの船内は要注意です。

与論島ではかなり風が吹いていましたが、天気は予報通り持ちこたえそうです。今回、宿は民宿を予約していました。前回はツアーに乗りましたが割高感があったので、今回は宿と足を自分で手配することにしました。たまたまネットで見つけた空きのある民宿を2泊3日で予約していました。ということで、港や大会会場の送迎も民宿のご主人のお世話になりました。到着後、大会会場で前日受付を済ませ、宿へ移動。チェックイン手続き後、宿に最寄りのスーパーで昼食を購入。ささっと済ませて散策開始。一日の所定歩数を稼いでおきたかったので、宿から徒歩30分ほどの与論城跡を目指して散策することにしました。与論城は琉球王国の版図であったころに築かれた城(ぐすく)で、高台から沖縄本島まで見通すことができる場所にあります。沖縄本島まで約40km。現在は鹿児島県に含まれますが文化に琉球色が多いのも頷けます。この日は風が強いものの眺めがよく、沖縄本島を見つめるヤンバルクイナが夕日に映えていました。

いったん宿に戻り、慌ただしく準備を整えて「ウェルカムパーティー」の会場に送っていただきました。前回とは「軽食」の方式が少し変わっていましたが、翌日フルマラソンやハーフマラソンを走るはずのランナーの盛り上がりは変わりません。「与論献奉」も復活していました。そして、毎回同じことを言いたくなります。「みなさんほんとに明日走るのですよね」。宿に戻り、翌日の準備を整え、入浴後(寝酒を追加で飲んでから・・・笑)早めに就寝しました。

ウェルカムパーティーの様子。みなさん明日、走るんですよね・・・

マラソン当日は6時に起床。すぐに前日に用意していたパンを食べてエネルギー補給。宿の食事は7時からなのでマラソンスタートまで短すぎるためです。準備を整えて7時に朝食のためダイニングへ。炭水化物はパンで摂取済みなので、たんぱく質や水分を適量だけ追加。炭水化物も白米を少しだけ追加。これで準備完了です。8時に宿のクルマで会場に送っていただきました。

ヨロンマラソンには今回が5回目の参加になります。2019年のコロナ前最後の大会に参加して以来、4年半ぶりになります。1997年から3年連続で参加、その後2019年に20年ぶりに参加して、今回に至ります。大会は2020、21、22年の3回は中止や延期となり、今回から開催時期を秋に変更して開催され、今回が「第30回」の記念大会となりました。記念の大会ですので迷わず参加を決めておりました。

8時15分頃に茶花海岸のスタート会場に到着。9時のスタートを待ちます。補給の水を飲んだり、トイレに行ったり。比較的余裕をもって9時を迎えることができました。給水のテーブル付近で鹿児島ユナイテッドサポーターさんにご挨拶。来季、J2でお会いしましょう。

スタートを待ちます。4時間以上かかるブロックで待ちました

コースは与論島を反時計回りに約1周し、折り返し後は時計回りに1周する往復コースです。スタート直後のみ復路とコースが違い、茶花の商店街の上り坂を通過します。天候は曇り。半袖(ザスパ2023)、短パンの服装を選択しましたが、少し肌寒く感じました。まあ、走るにはちょうどいいのではないでしょうか。風が吹いていました。前日より弱いものの走るには少し気になるのではないかと思います。

9時、予定通りスタートしました。直後、商店街の上り坂に差し掛かります。スタートが苦手な筆者ですので、ここは落ち着いていきなり息切れしないように気をつけて走りました。ほどなく商店街を通過して下り坂を下り、海岸線に戻ります。ここからはアップダウンを繰り返しながら島を1周します。最初は1kmあたり5分40秒から50秒くらいのペースで入りました。

与論空港付近を過ぎると小刻みにアップダウンが始まります。序盤なのですがもう苦しく感じ始めていました。こういうときは周囲のランナーさんとコミュニケーションを取り、気を紛らすのもひとつの方法だと思っています。選手宣誓をされた北海道からいらっしゃったランナーさんと話をさせていただきました。坂の話になったので、この先に名物の坂があることをお話させていただきました。苦しいところで会話していただき、ありがとうございました。

8kmからはこの大会名物の最も激しい上り坂、翔龍橋に上る坂道になります。ここはもともと走りきるつもりは全くなく、きつくなったところで歩くつもりでした。実際その通りになって、途中で歩きを入れて休憩しながら上りきりました。今回は天候がよく海の向こうに沖縄本島の島影がよく見えました。前の大会の参加記録にも書いていますが、沖縄返還前はこの場所が日本の主権が及ぶ最南端だったことになります。沖縄返還記念の石碑もこの場所にあります。

翔龍橋へ上る坂道

あとから記録を見ると50mくらいの高度になります。1kmくらいの間で約45m上がるので、斜度5%くらいということでしょうか。頂上のエイドで水を補給させてもらいました。今回も持参した経口補水パウダーを使い、水分と同時にミネラルを補給していました。少し時間をかけてしまうのがもったいないのですが、必要な措置だと思っています。

頂上からの下り坂は一気に降りるのではなく、少しの間の上り坂も挟みます。こういうアップダウンの繰り返しが徐々にダメージになったような気がします。そのまま17kmくらい(?)まで進んだところで、トップの選手が折り返して来るのにすれ違いました。やはりトップはゲストランナーの五郎谷選手でした。五郎谷さんをはじめ、トップクラスのランナーさんと手や声で励まし合いながら走れるのも、この大会の良いところではないでしょうか。

翔龍橋を通過後は1kmあたり6分15秒から30秒くらいのペースでした。給水や上り坂ではスピードを落として走ったので、そういう区間のラップは7分近いところもありました。島の東岸に近い場所では絶景の写真を撮るなどして、そういうところも時間がかかっています。ちなみにこの近辺で併走していたランナーのうち2人は10月の四万十川を走ったそうです。筆者を含めて3人が四万十川を走ったとは!

東岸の海岸線、絶景です

折り返し前、私設エイドのレモンゼリーが提供されていました。前回もいただいて、これが絶品でした。今回も美味しくいただきました。「楽しみにしてました」と声をかけさせていただきました。ちなみに、あまりの美味しさに復路でもいただいてしまいました。遠慮しておこうと思ったのですが、何度でもどうぞと勧められたので。ありがとうございます。

レモンゼリーありがとうございます!楽しみにしていました

このあたりでハーフマラソンのランナーが大挙してすれ違っていきます。フルのランナーに比べてまだ疲弊していないので、みなさん元気です。こちらも声を掛け合いながらすれ違いました。ゲストランナーの谷川真理さんもハーフの集団のなかで走っていらっしゃる姿が見えました。ハーフのランナーさんのなかには仮装の方もたくさんいらっしゃいました。スタート前にご挨拶した鹿児島サポーターさんの姿も見えました。がんばりましょう。

今回はゴール付近のコースが工事のため変更になった影響で折り返し点が少し手前に移動していました。おじいちゃん、おばあちゃんたちが声援をおくってくれるポイントのすぐ先が折り返しでした。ここで応援の同行者と立ち止まって会話しました。フィニッシュ時間の目安は「5時間」と伝えました。ここまで何とか2時間15分くらいで到達していたので4時間半も視野に入りますが、復路にさらに疲弊して失速する前提です。

折り返し後、1kmくらい進んだところで前夜のウェルカムパーティーで同じテーブルでご一緒させていただいた方とすれ違いました。意外と筆者の方が先行していたようです。お互いがんばりましょう。筆者も後続のランナーさんに声をかけながら走っていました。

後半に入ると徐々にラップタイムが落ちてきて6分台後半になりました。折り返し直後の同行者との会話とか、ゼリーをいただいた場所とか、そういう場所を含むラップは7分台に突入しています。これは仕方ないですね。

32kmくらいから翔龍橋への上り坂に入ります。往路の下りがアップダウンの繰り返しだったのと同様に、ここはアップダウンを繰り返しながら上ります。もう疲弊が進んでいましたので、かなりの区間を歩きました。また、靴に小石が入ってしまったので、いちど座り込んで対処しました。座り込んだところで他のランナーさんから「大丈夫ですか?」と声をかけられました。暖かいランナーさんが多いですね。ありがとうございます。

翔龍橋ではエイドの食品などもあったようですが、基本的にはエイドの食品には手をつけませんでした。水のみです。食料は持参のスポーツ羊羹で補給していました。口に合わなかったりすることもあるので。

翔龍橋に向かう坂道は復路にも当然あります

翔龍橋からの下り坂、ピカチュウ(着ぐるみ)さんに抜かれました。ピカチュウさんとは今年4回目の遭遇です。佐木島、佐渡、向津具、そして与論です。4回中3回が離島(笑)。ちなみに筆者は遭遇していませんが、小布施にもいたらしいです。

翔龍橋からの下り坂だけはしっかり走って6分台を回復しましたが、ここから先は残り5kmくらいになって先も見えてきたこともあって、上りは歩き、平地と下りは走るようになりました。珊瑚由来の石でできた白い道(コーラルウェイ)では写真を撮ったり、与論の風景を楽しみながら走りました。

コーラルウェイに差し掛かったときは日が差していたのですが、前の人の写真を待つ間に曇ってしまいました(涙)

ラスト1kmくらいのところで海岸線に出ます。ここからはほぼフラットな区間になります。応援の方も増えてくるので笑顔でゴールに向かおうと決めていました。その手前で会話させていただいたお兄さんとも「ラストは笑顔で」と話していたところです。

ゴール付近のコースが工事のため変更になっていると聞きましたが、たしかに変わっていました。いまは廃墟と化している観光ホテルのところで海岸線を離れて少しだけ坂道を上り、製糖工場の敷地の中を通って海岸線の道路に戻ります。なるほど、ここで距離が伸びたので折り返し点が手前に変わっていたということでしたか。事前に情報が配られていましたが、あまり頭に入り込んでいませんでした。

海岸線に出るとフィニッシュゲートはもう100mくらい先でした。前にひとりランナーがいて、追い抜ける感じがしましたが、今回30の倍数の順位の人に贈られる賞品を逃してしまったら嫌なので、追い抜かずに後からフィニッシュすることにしました。結果から言えば、追い抜いても追い抜かなくてもまったく影響ないことが後からわかりましたが(なぜならその人はハーフの参加者でした・・・笑)。

振り返ってフィニッシュゲートを写しました

ということで、4時間48分くらいの低調なタイムでフィニッシュでした。初参加の26年前と比較して33分遅く、4年前と比較して7分速い。微妙な結果ですね。まあ、この大会は楽しむことができれば勝利なので、これでいいのだと思います。楽しく走りきりました。

フィニッシュ後は付近を散歩するなどした後、宿のクルマでいったん宿に戻り、20分間で着替えとシャワーを済ませ、完走パーティーの会場へ。天候が回復したので、予定通り屋外(茶花海岸)で開催となりました。4年前は悪天候のため室内で開催されたので、屋外の完走パーティーは筆者にとっては24年ぶりということになります。

こちらも飲んで歌って踊って、そして最後には30回記念大会を締めくくる花火!何発か上がるだけだろうと予想していたら、それに反して10分くらい続いたでしょうか。音楽に合わせて打ち上げられる本格的な花火でした。感動ものです。ここまで楽しんでヨロンマラソンを完走したことになります。

完走パーティーの光景
花火もきれいでした。ありがとうざいました!

そんな感じで楽しませていただいたヨロンマラソンですが、一方で手放しで喜べない部分も感じていました。宿泊施設が減少していることが影響しているのだと思いますが、参加人数が減少傾向です。実際に走ってみて少ない感じがしましたが、そもそも募集人数も少なくなっているようです。今回は防災拠点はキャンプ場も宿泊場所として提供したうえに民泊も活用したようですが、そもそものキャパ不足が深刻なようです。さらに心配だったのがランナーの高齢化です。資料を見てみると特にフルマラソンに顕著なのですが、若い参加者が少なかったようです。遠方からの参加は往復に時間がかかるので、仕事の忙しい若い世代には参加が難しいのかもしれません。宿泊施設の確保と同時に、どうやって島の魅力をアピールしていくか、大きな課題に直面しているような気がします。大会のファンのひとりとして筆者にできることは、また時間を作って参加することしかありません。あとはSNSなどでヨロンの魅力を伝えることくらいでしょうか。次はいつになるかわかりませんが、また参加させていただきます。

翌日は天候も完全に回復し、那覇へ向かう下りのフェリーも予定通りに那覇港の到着しました。フェリー内のレストランのスペースでも余韻が冷めないランナーさんが大いに盛り上がっていましたが、筆者は持参のスマホで仕事の会議の録画を視聴するなどして、平日にお休みをいただいた分を取り返す努力をしていました。ビールを飲みながらではありますが(笑)。

那覇港から徒歩でゆいレールの駅に向かい、そこから空港へ。余裕をもって予約していた羽田行き最終便に間に合いました。羽田到着が予定より少し早めだったので京急の直通に乗ることもできました。重い荷物だったので助かりました。帰ってきたら当たり前ですが気温が低く、現実に引き戻された感覚です。翌日からの仕事、がんばります。