旧東海道ウォーク、今回は前回終了した「あすなろう鉄道」の終点、内部駅近くの交差点(小古曽三丁目)から開始します。既に四日市宿を離れていますので、石薬師宿、庄野宿、亀山宿を通り、関宿までを今回の目標としました。約24kmになる見込みです。
深夜バスで近鉄四日市駅前に着いたのは午前8時過ぎ。まずは駅構内のカフェでモーニングをいただきました。前回も乗車したあすなろう鉄道を利用して内部駅へ移動。さっそくウォーキングを開始しました。9時20分スタートです。
スタート直後にさっそく立ち止まって身支度を調整していたところ、同じような目的で歩いていると思われる二人組に抜かされました。とても足取りが軽く、スイスイと筆者たちより先行していきます。競争しているわけではないですが、あっという間に引き離されました。そんな感じでこちらはトロトロと進んでいくと旧東海道は川(内部川)に突き当たります。ここは現代の橋(国道1号にかかる内部橋)を渡るのですが、渡った先で旧東海道は国道から左に分岐して進みます。橋を渡った先には国道を渡る横断歩道が無さそうなので、橋を渡る前に進行方向左側に移動しておくと良さそうでした。橋のたもとで橋の下をくぐり、左側に出られました。橋の左側の歩道を歩き、その先の分岐で首尾良く左に進みました。
この先にはこの日いちばんの上り坂(杖衝坂)が待ち構えているのですが、その手前で先ほどの二人組に再び追い越されました。「なぜ?」と思ったのですが、もしかしたら橋を渡る際に右側の歩道を渡ったのかもしれません。それで国道をうまく横断できず、その間に筆者たちが先行したのでしょう。
その杖衝坂はなかなかの斜度を含む200mくらいの区間でした。たしかに難所ではありますが、現代の道はしっかり舗装されているうえに距離も短いのであっという間に上り切ることができました。坂を上りきったあたりには「日本武尊血塚社」があります。何やらおどろおどろしい名前ですが、その昔日本武尊が東征で傷つき、戻る際に杖を衝いて登ったのが杖衝坂で、傷後を洗い流した場所がこの血塚社だとのこと。
この坂を上り切った地域の地名が「坂の上」というのにはわかりやすくて笑ってしまいました。坂の上の集落を抜けて進んでいくと采女の一里塚の説明パネルがありました。この一里塚には石碑も建てられているのですが、パネルの場所とはかなり離れています。このあと旧東海道は国道1号に合流するのですが、合流した先の片側2車線の国道の反対側、ガソリンスタンドの横に建てられています。実際の一里塚がパネルの位置だとすると、石碑の場所は300mくらい離れているでしょうか。有志による設立とのことですので、建てる場所の調整がつかなかったのかもしれません。
一里塚のパネルを過ぎると上記に書いた通り、国道1号に合流します。その先、県道8号との交差点で少し複雑な経路がGoogleMapに描かれていますが、ここは現代の交通規則にしたがって横断歩道で渡れる場所を通りました。実際の街道の位置とはずれるかもしれませんが、やむを得ません。鈴鹿市との市境で再び旧東海道は左に分岐し、街道らしい道幅になります。
ほどなく再び1号に合流しますが、今度はすぐに右側に分岐します。このため国道の右側に移る必要があるのですが、ここでは地下道を利用しました。説明図が設置されていて、それに従って進むことができました。説明図には当時の街道の筋を現代の道路図に重ねて書かれていて、とても親切に感じました。
このあたりから石薬師宿のエリアに入るようで、宿場名が書かれた標柱が設置されていました。脇では桜吹雪が舞っていてとてもきれいです。ここから約1.8kmは「信綱かるた道」という名称がついていて、佐佐木信綱の短歌50首が「かるた」として掲示されています。いくつか写真に収めました。
石薬師宿を進んでいくと、反対側から何らかのイベントに参加していると思われる人がぞろぞろと歩いてくるのにすれ違いました。筆者が「新出稲荷」の説明板の写真を撮っていると、その人たちはそこを曲がって進んでいきます。この先に何があるのだろうと、この時点では不思議に思っていました。
この日のウォーキングが終了してから電車で移動中、中吊り広告を見てJR東海が企画している「さやわやウォーキング」だとわかりました。石薬師宿を歩くコースが設定されていました。
佐佐木信綱記念館の前を通り、瑠璃光橋という名称がついた橋で国道1号をわたります。国道を通す際に切り通しにした結果、旧東海道は橋になったのでしょうか。橋をわたった先には石薬師寺。桜がきれいでした。ちなみに石薬師寺の院号は「瑠璃光院」で、橋の名はそこからつけられたものと思われます。
ここでコースをいったん離れて「蒲桜」を見に行きました。その昔、蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれた源範頼が武運を祈願して、鞭にしていた桜を「我が願い叶いなば、汝地に生きよ」と言って地面に挿して、これが成長したものと言われています。薄い色の桜の花が満開を少し過ぎた頃合いに見えました。よい時期に訪問できたと思います。
街道に戻り、ウォーキングを再開しました。蒲川橋を渡った先に石薬師の一里塚がありました。石碑と灯籠が建てられ、榎の木も植えられています。次の庄野宿への道案内の立て札も立てられていました。
一里塚跡の前で左折して、舗装はされているもののあぜ道のような区間を歩きます。ここにはストリートビューがないのでどんな道か不安でしたが、きちんと歩きやすく整備された道でした。その途中、JR関西本線のガードをくぐった先にいたのが立ち×××おやじ。これは一発アウト。犯罪行為です。「さわやか」のルートからは外れているから誰も来ないとでも思ったのか?
旧東海道は関西本線と国道の建設により、おそらく昔の街道とは微妙に違うルートになっているのではないでしょうか。国道をガードで抜けて関西本線近くの橋をわたり進み、やがて国道に合流しました。合流したところにあるのが「SANKEI」さんの工場。敷地入り口横にある植え込みが社名を象っています。こういうのは手入れが大変なんだろうなあ。ちなみにオフィス家具の会社だそうです。
ここからはしばらく国道を進みますが、空き缶などのゴミが多い印象。お店などがあるわけでもないので、あまり特筆すべき事項がありません。
国道から右折して庄野宿東口跡から庄野宿のエリアに入ります。お昼時でお腹がすいてきたのですが、宿場のエリアに食べ物屋さんはありません。おもてなしコーナーがあって軽食が提供されているようですが、土曜日は非営業日でした。そういう状態でしたが、街道の景観を維持しているのは好印象です。ただ人が少なく、近くの人はいったいどこにいるのでしょう?
庄野宿西口跡を過ぎて進んでいくと大きい交差点(汲川原町)に出ます。旧東海道はこの交差点を斜めに横断するはずですが、現代の道路によって寸断されてしまっています。ここはやむを得ず横断歩道で対角線側に渡り、寸断されている交差点まで戻ってトレースを再開しました。ここにも旧街道の推定ルートと迂回路が説明されたパネルがありました。こちらも嬉しい配慮です。説明板に気づかず、違う迂回路をとってしまいましたが(笑)。
ここで今日の開始直後に見かけた二人組の姿を見かけました。近くにあったファミマでお昼でも食べていたのでしょうか。二人にはここでいったん追いついたものの、すぐに姿は見えなくなりました。このあとは姿を見ていません。
女人堤防碑や中富田の一里塚跡を通過して進んでいきます。女人堤防碑は、藩から禁止されている水害対策の堤防を男衆が罰を受けないように女性たちが築き、その罰を受けそうになったところを寸前に助命されたという逸話を記念した碑です。中冨田の一里塚跡は、神社の鳥居の脇に標柱と説明パネルが設置されていました。
地図を見て一縷の望みをかけていた魚富さんというお店の前を通過しましたが、ランチ営業はやめてしまった模様。営業開始は17時半からとのことで、残念です。空腹感が増しています。
安楽川で渡って、土手を降りたところに魚屋さんに併設された飲食店っぽいお店があったが、こちらも営業していない様子です。そのまま進み、比較的大きな県道を横断し、さらに表示に従って進んで小さな踏切を超えていくとJR井田川駅前にさしかかります(この部分の経路は「人力」さんと現地の案内図が異なっています。ここは現地を優先しました)。
駅周辺に何かお店がないかと地図で探してみると、街道から少し離れた国道沿いにうどん屋さんと「すき家」さんがあることがわかりました。他に選択の余地がなかったので、いったんウォーキングを中断してうどん屋さんへ向かいました。やっと遅いランチにありつけました(13時30分)。伊勢うどんのお店で、かやくごはんと共にいただきました(甚八 井田川店さん)。
食事後、駅前に戻り、日本武尊像の写真を撮影しました。スタート直後に見た血塚社で見た逸話にあるように、このあたりで落命したという説があり、これに基づきこの地の古墳が陵墓として定められたようです。ここは現在も宮内庁が管理しているとのこと。それで駅前に像があるようです。
ウォーキングを再開しました(14時20分)。亀山宿へ向かいます。季節が絶妙によかったようで、ここも桜並木が綺麗です。この季節でなかったとしたら書くネタにも困っていたかもしれません。和田の一里塚跡を通過。こちらは現存かと思ったら再現のようです。
その先でファミリーマートがある交差点からはマクドナルドやコメダなどが見えました。ここにはドラッグストアなどの店舗も集まっているようです。先ほどのうどん屋さんがなかったらここまで耐えるしかなかったかもしれません。
カメヤマローソクの工場が見えました。しかし工事中で創業していないように見受けられますが、どうなのでしょう? 江戸口門を過ぎると亀山宿のエリアに入ります。
ここは歩道に屋根つきの商店街です。商店街が好きな筆者はうれしい。しかしシャッター商店街気味でした。商店街に喫茶店でもあれば休憩する時間帯ですが、残念ながら見当たらないのでそのまま通過しました。
近くには亀山城があり、ここも見学したいところですがロスが大きいので先に進みました。くねくねと下り坂を降りながら進むと亀山宿の銘碑がある交差点に出ます。ここは坂を登るように進んでいきます。その先に雑貨屋さん兼コーヒー屋さんのお店が目に止まりました。「薫り高い珈琲」の文字に引かれるように入店し、アイスコーヒーをいただきました。美味しい珈琲です。帰り際に店主様からあめちゃんをいただきました。ありがとうございます。本日の目的地・関宿までもうひとがんばりです。亀山宿の京口門を通過しました。
野村の一里塚跡に差し掛かりました。ここは塚が現存している立派な一里塚跡です。これはすばらしい。残念ながら片側(進行方向右側)だけですが、現存の塚のなかでは最大級に立派な一里塚です。
関宿におりる下り坂を進みますが、そこにあった道案内が気になりました。坂を下りるという意味だと思いますが、これが伝わるかどうか心配になります。ここは道が二股に分かれていて、左は坂を下りる道、右は坂を上る道になっています。左の坂を下りる道が正解なのですが、だったら二股を左と明確に書く方がよいのではないかと思いました。まあ、余計な心配かもしれません。
この先で、関西本線をまたぐ横断歩道で線路の反対側に出ます。ここには導線の説明板があり、その通りに歩きました。本来は県道と関西本線が通っている最短距離をまっすぐに貫いていたのでしょう。
この先の河川敷の区間では桜並木が続きます。成長した樹木が綺麗に咲いている一方で、比較的若い木もあるなど、かなり計画的に整備している様子がうかがえました。ちょうどよいタイミングで通ることになり、桜吹雪になっていてとてもきれいでした。
国道25号を横断すると関宿が近づいてきます。ここの横断は交通規則上、最短ルートで渡ることができず、国道を少し戻ったところにある歩道橋を利用しました。反対側から歩くひとのなかにルールを無視して渡る歩行者を見つけましたが、ダメですよ。危険です。
関宿のエリアに入ります。入り口の看板は力が入っていました。しばらくは民家などが並ぶなかを街道らしい道幅で進んでいきます。鳥居が立っているところが関宿の追分です。この鳥居は伊勢神宮の式年遷宮時に移設しているものとのこと。東海道から分かれる伊勢路の入り口にあたる追分なので鳥居があるのでしょう。ここには一里塚跡の碑も建てられていますが目立たない場所でした。事前に調べておいたので見逃さずにすみました。
ここから先が本格的な関宿の宿場のエリアに入ります。宿場を目玉にして観光客を呼ぼうとしているのがわかります。景観を意識した街づくりが徹底されているようです。銀行の支店なども含めて景観に沿った装飾を施したようです。そして、同様に景観を意識している庄野宿よりは人の気配を感じました。なぜこういう違いが生まれるのか、興味深いところです。というところで、宿場の途中ではありすが、関駅に近い交差点に着きました。本日はここで終了とします。
元々は一泊して翌日も旧東海道を歩くつもりでしたが、翌日は荒天の予報がでていました。この先には鈴鹿峠の山道が待ち構えています。荒天のなかを歩くのは厳しそうなので、今回は日帰りに切り替えました。続きは5月の連休中にします。関駅から亀山で列車を乗り継いで名古屋に向かい、新幹線で日付が変わる前に帰宅できました。















































































