大津宿まで歩いてから中1日空きましたが、旧東海道ウォークの最終日でした。大津宿から三条大橋まで、旧東海道の残り約10kmを歩いてきました。本当は前日(10日)に歩く予定だったのですが、大雨が一日続くという予報だったので、一日延期してこの日(11日)に歩くことにしました。
とはいえ、朝起きてみると天気は予報通りの雨。天気予報を改めて確認すると一日中雨で、特に午前中は強く降る予報です。もう少し回復すると思っていたのですが、これでは前日とそれほど変わらないかもしれません。特に大津市には大雨警報が発令されていました。雨の少なそうな時間を見計らって歩くしかないと考え、スマホの雨雲レーダーとにらめっこ。11時頃になって、このあと数時間は歩けるレベルの雨だろうと予想して、宿泊していたホテルを出発しました。ウォーキングに使わない荷物は朝のうちに京都駅のコインロッカーに預けてきて、身軽にしておきました。宿泊したホテルは駅に直結していて、濡れずにアクセスできるので便利でした。
11時半に前日終了した地点に到着。旧東海道がJR琵琶湖線を横断する橋の手前です。橋の名前がはっきりしません。ここでいきなり予報を覆すように雨が強くなりました。出発地点まで来てしまったので、取りやめるという選択肢はありません。雨に耐えながら傘をさして逢坂山の坂道を上り始めました。8月11日は「山の日」なのでちょうどいい場所ではありますが、この天気は厳しい…。
雨が強くなったら建物の庇の下などでやり過ごし、なんとか逢坂山を上りきりました。退避していた時間を含めても1時間かかっていないのですが、かなり長く感じました。上りきったあたりで雨が小降りになりました。天気予報サイトによると、ここからは雨の影響なく歩くことができる見込みです。とはいえ、夕方にはまた降り始める予報なので、雨が小康状態のうちに目的地に着けるよう、先を急ぎます。
逢坂山といえば蝉丸による歌(これやこの…)に出てくる「逢坂の関」が有名ですが、ここには魅力的な鰻のお店があって、個人的にはこちらに興味を持っていました。しかしお店の前で渋滞が起きるほど混雑していて、店内でも待っている人が多いように想像できます。食べ終わるまでには相当な時間がかかりそうです。雨が小康状態のいま、ここで時間を使うのはもったいない。泣く泣く鰻の香りだけ楽しんで、足を進めました。
このあたりに走井の一里塚がある(あった)はずですが、それらしい痕跡や目印を見つけることはできませんでした。それっぽい石碑がありましたが、これも違いそうです。地名(一里山)のみ痕跡を残しているようです。
逢坂山を下り、国道から分岐するように進みます。
今回楽しみにしていた髭茶屋追分に差しかかりました。ここはブラタモリでも紹介されましたが、京都へ向かう旧東海道と大坂へ向かう伏見街道(京街道)の分岐点です。伏見街道にはさらに大阪・高麗橋までの間に4か所の宿場があり、東海道の五十三次と合わせて「東海道五十七次」とも呼ばれています。こちらもいずれ歩こうと思っていますが、今は三条大橋に向かう旧東海道を急ぎます。
閑栖寺というお寺の前に車石と道標が置かれていました。牛車が街道を通る跡が削られた筋が車用の道筋になるという現象です。削られた石が門前に置かれていて、境内には実際に石が敷かれた様子が再現されているようです。先を急ぐので境内には立ち入らずに、先に進みました。
現代の街道(バイパス)を横断歩道で渡り、進んでいった先の四宮駅近くで蕎麦屋さんに立ち寄り、ここでお昼にしました。時間をかけずに食べられそうで、実際40分くらいの滞在時間でお昼を済ますことができました。天ざるそばを美味しくいただきました(「あづまや」さん)。
山科の駅前あたりは商店の数も多く、街歩きのような気分になりました。お店や家屋の軒先に茄子の風船が飾られていたのが気になりましたが、山科は茄子が名産品で、そのアピールだったようです。「もてなすくん」という名前で、クラウドファンディングで資金を集めたようです(こちら)。
山科を過ぎると最後の一里塚があるはずですが、ここも痕跡を見つけることができませんでした。最後と書きましたが、三条大橋側から見ると最初の一里塚になります。この先で旧東海道では最後の坂道(たぶん)を上りました。割と細く街道の名残のような雰囲気で、かなりの急坂でもありました。坂道好きの筆者はいいとして、同行者にはきつかったようです。最後にこれだけの坂が待っているとは思っていませんでした。街道の左側にはいくつかのお寺が並んでいて、それぞれ斜面の階段の上が境内になっていました。
少しだけ坂を下って現代の三条通りに合流します。三条通りも坂道になっていて、ここを再び上ると「九条山」交差点に着きました。どうやらここが坂道の頂上のようです。逢坂山に続いて山の日らしく坂道を上ることができました。
浄水場に沿って三条通りを下りていきます。蹴上駅近くでは煉瓦造りのトンネルを楽しませていただきました。道路左側を歩いていたのですが、トンネルがあるのは右側なので地下鉄の駅を通って反対側に移動して見学しました。このトンネルの先は南禅寺方面に続くようです。このトンネルで斜めに煉瓦が敷き詰められていて「ねじりまんぽ」と呼ばれているそうです。「まんぽ」はトンネルの意味とのこと。こういう構造物は煉瓦好きにはたまりません。南禅寺や疏水にも立ち寄りたいところでしたが、きょうは雨が小康状態のうちに歩くのが優先です。
蹴上駅から一駅分歩いて東山駅に差しかかると、ここはもう京都の都市部です。過去にも歩いたことがあるようなないような曖昧な記憶をたどりながら三条通りを進みました。
視界の先に橋の姿が見えてきました。そして15時50分頃、この日のゴールであり、この旅の終着点でもある三条大橋に到着しました。観光客が多く、しかも海外からの観光客が多数でした。コロナ禍明けの京都は初めてでしたが、聞いていた通りです。ゴールの記念にできるだけ人の少ない状態で三条大橋の写真を撮りたかったのですが、これは無理でした。橋の下を流れる鴨川を見るとかなりの水量で濁流でした。前日からの雨の影響なのだと思います。
橋を渡り、弥次さん喜多さんの像や池田屋事件の刀傷などを見学した後、雨が心配なので地下鉄駅に退避して京都駅に移動しました。本当は三条周辺で祝杯をあげたいところでしたが、雨を避けることを優先しました。かわりに京都駅の地下街でコーヒーとケーキで旧東海道ウォーク完結を祝いました。ビールは帰りの新幹線までお預けです。
遅めの時間に予約していた新幹線の繰り上げにも成功したので、早々にコインロッカーの荷物を取り出し、お土産とビールを購入して新幹線に乗り込みました。雨によるダイヤ乱れも心配でしたが、ほとんど影響なかったようです。
というわけで旧東海道ウォークが完結しました。開始したのが2022年の5月3日で、約3年3か月かかりました。日数(回数)でいうと34日を要しました。自宅から簡単にアクセスできる最初の方は1回で宿場ひとつ分しか進んでいなかったり、箱根の山を越えるのに3日かけたり、比較的ゆっくりスタートしました。しかも半年くらいの中断を何度か挟み、かなりの時間をかけてしまいました。日帰りでの行動が難しくなる中盤以降は一泊二日で5宿くらい進むなどペースアップしましたが、今年に入ってから家族の事情だったり、同行者の体調だったり、わたし自身の体調だったり、いろいろな要素が重なってこんなに暑い季節に突入してしまいました。本当はゴールデンウィークくらいに完結したかったのですが……。
実は積み残しの課題がいくつかあります。工事中だったり、災害の影響を受けたりして迂回せざるを得なかった場所がありました。運悪く交通事故のため規制されていた場所もありました。また、自分のミスで旧東海道を正確に(最も近く)トレースできなかった場所もあります。工事や災害の復旧を確かめながら補完していきたいと思います。

















































