旧東海道ウォークの続きです。今回は関宿から坂下宿を通って土山宿までを目標としました。いつもより少し短めの目標ですが、鈴鹿峠の坂道を含むこと、帰りのルートが長いことが理由です。
前日から津に宿泊していたので、まずは津の街を朝ランしてきました。前日にも行った津城や以前にも行ったことがある三重県庁などをめぐってウォームアップを入れて約5kmでした。朝ランでは昼間とは異なる街の雰囲気を知ることができるので、旅の楽しみのひとつです。旧東海道ウォークでも何度か朝ランをしてきました。
朝食後ホテルをチェックアウト。その際にフロントで荷物を預かってもらいました。帰り道に津に寄らなくてはいけなくなりますが、今回の行程は難所である鈴鹿峠を含むので身軽にしておきたかったのです。津駅から電車に乗り、亀山経由で関駅へ。
旧東海道のうち関駅に最も近い交差点が今回のスタート地点になります。10時30分頃にスタートしました。関宿は宿場の景観を意識して保存しているようで、郵便局も一見では郵便局に見えないほどのちからの入れようです。コンビニなど、現代的な店舗が無いのも特徴かもしれません。おそらくクルマの通る現代の道にあるのでしょう。古民家カフェなど景観を生かしたお店はありました。
宿場の資料館や店舗などが立ち並ぶエリアは観光客で賑わっていましたが、少し外れると静かな街並みになりました。やがて宿場の追分を過ぎ、旧東海道は現代の国道1号に合流します。
しばらくは国道の歩道を歩きました。歩道に面した駐車場に「転び石」があったので、歩道から写真を撮りました。さらに進むと鈴鹿川をわたる橋の手前で旧東海道は国道1号から右に分岐します。ここには目印があるので見落とさなければ間違えずに分岐できると思います。国道1号はクルマがひっきりなしに行き交っていますが、こちらは交通量は極めて少ないようです。
鈴鹿川にかかる橋を超えると住宅地のような道路になります。住民の方に挨拶しながら通りました。怪しいものではありませんという意思表示です。そのまま進むと旧東海道は国道1号を斜めに横断します。ここには横断歩道があったので、これを渡りました。再び先程までと同じような生活道路のような道になりますが、すぐに国道1号に合流します。
ここでは国道1号の左側の歩道を進みましたが歩道がなく歩きにくいので、クルマが切れるのを見計らって右側の歩道に移りました。近くには横断歩道もなさそうなのでやむを得ません。その先、「筆捨山」の説明板があるところで、そのまま歩道を進むか、道路の右側に「ハンドル」のように接続された道路を通るか迷いました。ここはハンドルのほうが旧東海道をトレースしているような気がしたので、そちらを通りました。筆捨山の説明板がハンドル道路(←勝手に用語を作るな!)に対して掲示されているように見えることが理由です。まあ、違っていたとしてもそれほど大きな違いではないので許容範囲でしょう。実は今回の行程ではもう一か所、同様の「ハンドル」がありましたが、こちらでもハンドル道路を選択しました。
▲ハンドル道路の地図
ハンドル道路を過ぎて、再び国道1号の右側歩道を進みます。鈴鹿川に沿って歩き、少しずつ高度を上げていきます。道路の左側に一里塚跡の標柱がありました。一ノ瀬一里塚跡です。そのまま進むと「東海道」の標識(目印)があって、旧東海道は右に分岐します。国道1号に並走するように旧街道を進むと右に童夢(ドーム)という名の施設がありました。天体観測用の施設のようです。左側には鈴鹿馬子唄会館があり、同行者がこちらでトイレを借りました。館内には坂下宿の説明などが貼り出されていたのですが、靴を脱ぐのが面倒だったので筆者は近寄らずベンチに腰掛けて一休みしていました。
この建物の道路に沿った装飾として「日本橋」「品川」「川崎」・・・とここまで歩いてきた宿場の名称が書かれた柱が立っています。柱は三条大橋まで進むかと思いきや、「石部」まで進んだあとに突然「三条大橋」となっていて、「草津」「大津」が飛ばされています。柱の跡みたいなものがあったので、もしかしたら事故か何かの理由で2本は失われてしまったのかもしれません。
その先にGoogelMap上には「推定元坂下一里塚」という記載がありますが、痕跡らしいものはなさそうです。このあたりで坂下宿のエリアに入ったようで、宿場の説明板や本陣跡の標柱などが設置されていました。宿場のなかに先程記載したもうひとつのハンドル道路がありました。先に書いた通りハンドル道路の方を進みました。
ハンドル道路を過ぎると進行方向右側に2体の人物像があります。GoogleMap上にも「人物像」以外の記載はなく詳細不明です。近寄って銘板(があるかどうか不明ですが)を見てみたかったのですが、柵で入口が塞がれていました。いったい誰なのでしょう。謎のままです。
人物像の先で国道1号に合流します。この区間の国道1号は上下線が分離していて、合流したのは上り車線(坂道でいえば下り)になります。ここは並行する側道のようなところを歩きました。ストリートビューの過去写真を見ると、ここはバイパスの側道のような道になっていて、以前はクルマの通行も可能だったようです。いまはクルマの通行が禁止されていて、歩道のような存在になっています。この途中に「荒井谷一里塚跡(推定地)」の小さな柱が立っていました。地図上にのみ存在していた推定元坂下一里塚と近すぎるので、どちらが実際に存在していたのでしょう。おそらくこの辺りということしかわからないのだと思います。
バイパスの側道を終えるといよいよこの日のメインディッシュである鈴鹿峠に差し掛かります。ここから非舗装の区間が始まるのですが、どこから入ってよいものか少し迷いました。東海自然歩道の看板がある階段を上ってみましたが、小さな祠があるだけで道らしき道が見えず、ここは違うと判断しました(雑草で道が見えなくなっているかもしれない)。結局、片山神社の社名碑が建つ、神社の参道のような道から入りました。ときどきぬかるみを避けながら片山神社に向かって進みます。進んだ先に坂下宿の説明板があり、これを見て間違っていなかったと確信を持ちました。この説明板によると坂下宿はもともとこの辺りだったようです。災害で壊滅して、現在の位置(現在じゃないな…)に移されたようです。石垣などの痕跡が残っているということなので、これがそうかもなどと思いながら進みました。それにしてもこんな斜度の高いところに宿場とは。どんな様子だったのか想像もつきません。
今回の区間はここだけが非舗装区間なのですが、このために天気予報を考慮しながら日程を選びました。前回(内部駅→関宿)の翌日(4月13日)も候補日だったのですが、悪天候が予報されていたため見送って日帰りにしました。また、今回の前日である5月3日も候補だったのですが、前日(5月2日)に雨が降ったため足元が悪いことを予想して見送りに(4日に予定していた城めぐりと入れ替えました)。ようやくこの日(4日)に歩くことができました。足元の状況を考えると予定を入れ替えてよかったと思います。
片山神社前で右方向に進むとさらに本格的な山道になります。そんな中で現在の国道が高架になっている部分の下をくぐります。階段状に整備されたところを登っていくとちょっとした広場になっていて、ここで一休みしました。さらに続く山道を進むと馬の水飲み場跡があるなど、ここが実際に街道だったことがわかります。馬や籠はどうやって通ったのでしょうね…。建物の痕跡と思われるのは田村神社跡だと思います。下を見下ろせるところからは絶景が見えました。写真だとよくわかりませんが。
そして峠の頂上に出たようです。意外とあっさり上りきったという感覚でした。急に開けた道に変わり、その先には近江国と伊勢国の境界を示す標柱がありました。万人講常夜灯のある手前にトイレとベンチがあったので、ここで本格的な休憩を取りました。
時刻は13時半くらいになっていて空腹を感じるようになったので、ここで休憩のついでにお昼にしました。津を出発するときにコンビニで購入しておいたパンを持参していました。関宿を出てからここまでの間、食事ができそうなお店や購入できそうな店舗はまったくありません。お昼を持参して正解でした。また、飲料水の補給もできない(坂下宿のあたりに自販機がありましたが)ので、これから歩く方は持参することを強くお勧めします。
非舗装の道はここまでで、ここからは坂道をゆっくりと下り始めます。上りが急斜面だったのに対して、下りは緩やかな坂道でした。隣を走るバイパス上に「滋賀県」「甲賀市」の標識が見えました。バイパス(国道1号)に合流して、歩道を進みます。
これまでと違って風景に変化がなくなりますが、土山宿も近くなってきたので気合いを入れ直します。「山中」という名称の交差点に横断歩道があったので、道路右側の歩道に移りました。押しボタン式の信号ですが、青になるまで長い時間がかかりました。歩行者がほとんどいないからでしょう(笑)。
馬子唄公園という広場があり、ここで旧東海道は国道から右に分岐します。この広場には公衆トイレがあり、馬子唄の解説板や土山の観光案内図もあります。馬子唄の歌碑もありました。ここの説明板では、「あいの土山」の「あいの」についても言及されていました。諸説あるようですが、この説明板では「あいのう」を推しているようです。
旧東海道はこの先で第二名神の下をくぐりますが、そこに第二名神の起工碑が建てられていました。滋賀県における起工の地だったようです。その先に「一里塚公園」(山中一里塚)があり、馬子と馬の像や石碑などが建てられていました。かなり風化しているように見えましたが、実際はどうなのでしょう。ちなみに公園の名称以外に一里塚跡を思わせるものは見つかりませんでした。
一里塚公園で国道1号に合流しますが、実はこのあたりから蟹が坂の入口までの間、旧東海道を正確にトレースできなくなっているようです。山を切り開いて国道1号を通した際に旧東海道の道筋が民間会社の敷地になったり、国道1号の工事により切り開かれたりして、以前の道筋が失われてしまったようです。いつも参考にしている人力さんのサイトでは「猪鼻」という交差点で突然右折して猪鼻村集落を通るように描かれていますが、実際には失われてしまった旧東海道の道筋のうち猪鼻村だけが旧街道をトレースできるということのようです。
仕方ないので国道1号をそのまま進み、猪鼻交差点で右に入ります。現在もトレース可能は猪鼻村という集落を歩きました。ここは意識して街並みを保存しているように見受けられました。説明板によると土山宿から坂下宿へ向かう途中の立場(杖を立てる=休憩する場所)だったようです。旅籠の跡を示す標柱もありました。非公式な旅籠なのだと思われます。近くには寺院(浄福寺)もありました。集落から旧坂を上って国道1号に出る場所には村名の彫られた立派な碑もありました。
ここから再び国道1号を進みます。ここも旧東海道は国道1号とは別のルートで、国道1号の左側を通っていたようです。近寄っていませんが、「蟹塚」がこのなかにあるようです。国道1号から右に分岐して坂を降りるように進む道(蟹が坂)があり、ここからは旧東海道のトレースを再開できます。土山宿までの道案内図が設置されていました。蟹が坂という地名や蟹塚は、大きな蟹が旅人を襲うと言われていたことに由来しています。怖い話ですね…。
古戦場の跡を過ぎて進んでいくと田村川にかかる橋に出ます。ここには田村川木橋という橋が1775年に架けられたそうです。それまではもっと下流に「渡し」があったらしい。また橋が架けられた際には橋の手前に橋を利用する際の決まりごとを書いた高札場があったとのことです。復元された高札と上記内容の説明板がありました。現在はその田村川橋を復元してかけた「海道橋」が架けられています。復元されたのは比較的新しく、2005年頃のようです。Webで旧東海道を歩いた方の記録を見ると、海道橋が架けられる前の記述も見つかります。そのときは橋がないので進行方向左側の国道に迂回していたそうです。
橋を進んで田村神社の参道に出ました。田村神社は相当大きな規模に見受けられました。参拝したいところでしたが、帰りの足を心配する時間になってきたので一礼だけして通過させていただきました。参道が街道になっているので、少し気まずい気持ちもありました
歩道橋で国道を渡り、道の駅(大規模な工事中で利用できません)の脇を通過して、土山宿の入口に着きました。道の駅の手前の国道沿いにはたこ焼き屋さんがありました。関宿を出て以来、初めて見る食べ物屋さんです。お昼は持参したパンを食べたので、こちらに立ち寄ることはありませんでした。もう15時を過ぎていて、お昼どきというわけでもありません。
土山宿は昔の雰囲気を保存するように意識しているものと思われます。道幅を維持して、建物の配色にも気を使っているようです。旅籠の跡などの標柱が立ち並ぶなかに一里塚跡もありました(土山一里塚)。また、土山は森鴎外の父である森白仙(津和野藩の典医)も終焉の地でもあったそうです。参勤交代で江戸に出た際に病を得て、帰路の道中、この地で力尽きたそうです。
その先、東海道伝馬館のある交差点(土山宿問屋場跡)で本日の行程を終了しました。約16kmの道のりでした。
東海道伝馬館を横目にしながら「近江土山」バス停に着き乗るつもりだったバスを待とうとしたところ、1本前の貴生川駅行きバスが到着しました。運良く待ち時間ゼロで乗車できました。均一料金で250円でした。このバスと電車(3本)を乗り継いで津に戻り、荷物をピックアップのうえで帰途につきました。これで3月の桑名から続いた三重県の旅は一区切りです。この間に奥熊野のマラソン大会と城めぐりも入れたので、3月4月は三重県に滞在した時間が長く感じました。
次回は滋賀県側からアクセスして、京都方面に向かうことになります。帰りの新幹線では珍しくボリュームのあるお弁当をいただきました。普段は夕食に炭水化物はあまり食べないのです。お昼がパン1個半だけだったのでおつまみ程度の食べ物では物足りなかったので。若干の罪悪感がありましたが、今回は峠を歩いたのでいいですよね。











































































