旧東海道ウォーク(28) 桑名宿~内部駅付近

旧東海道ウォーク、今回は桑名宿からスタートです。前回のウォーキングで宮宿まで到達し、宮宿から桑名宿までは「七里の渡し」の勉強会で昨年踏破済みです。勉強会後に桑名宿を少しだけ歩いたので、今回はその際に終了した地点から開始します。

朝の新幹線、近鉄を乗り継いで桑名駅に到着したのが9時20分頃。駅を出て、まずは桑名城跡の九華公園に足を伸ばし、散策しました。公園では桜祭りの準備が進んでいましたが、桜は咲いていません。駅から公園に向かう途中では河津桜祭りが開かれていて、こちらは満開でした。公園ではよく整備された池と本丸跡、天守台跡などを見学しました。

河津桜祭りを開催中でした(てらまち広場)
本多忠勝公に朝のご挨拶
九華公園の池
桑名城辰巳櫓跡
桑名城本丸跡
桑名城天守台跡

ウォーキングの話に戻ります。今回のスタートは旧東海道と八間通りの交差点です。10時24分、ウォーキングを開始しました。今回は前回(先週の藤川宿から宮宿)とは打って変わって好天です。まずは堀端にある桑名城の石垣を見ながら街道を南下します。植え込みには江戸から始まる東海道五十三次のオブジェが並んでいて、最後は橋(三条大橋に見立てている?)で終わっています。

本日のスタート地点(旧東海道と八間通りの交差点)。旧東海道は八百勇さんの左側を進んでいきます
桑名城の堀に面する石垣

桑名城を離れ、桑名の市街地を何度か折れ曲がりながら進みます。折れ曲がるべき場所には標柱があって間違わずに進めるように工夫されていました。「吉津屋見附跡」の説明版があり、番所が設けられていたそうです。いったん現代の街道(片道2車線の県道)に合流後、すぐに右折します。鍋屋町というエリアに入りました。大邸宅の前に説明場が設置されていて、それによるとこの場所は鋳物工場の跡地とのことです。鍋屋町の地名はその名残とのこと。

桑名市石取会館。かつては銀行の店舗だったようです
旧東海道が折れ曲がる場所には標柱があって迷わないようにしていました
京町見附付近とのこと。番所があったのでしょうか
吉津屋見附跡
片側2車線の県道に合流するところには火の見櫓がありました

そんな感じで史跡や神社、寺院には説明板があって、その由来を知ることができます。街道や歴史に対するリスペクトがあり、筆者のような地域に馴染みのない旅人には嬉しい配慮といえます。

国道1号を横断して西進して、左折後は再び南下していきます。このあたりの旧東海道の道幅はセンターラインを引けないくらいの幅で、これも往時の雰囲気を感じる理由でしょう。南下の途中、高規格道路を横断する場所には地下道が整備されていました。迂回しなくてすむのでありがたく感じます。

ここを左折して南下します。ここにも標柱がありました
これくらいの幅の道路が続きます

南下を続けると員弁川に突き当たります。ここには江戸時代にも橋がかけられていたようです。道路の整備に伴って橋は現代の街道(国道)に掛け替えられたようです。ここは迂回して、現代の国道の橋(町屋橋)を渡りました。橋の手前には旅館や料亭が何軒かありました。これはもしかしたら江戸時代から続いている老舗なのかもしれないと、思いを巡らせながら通過しました。実際どうなのでしょう?

員弁川? 町屋川? どっちでしょう?
橋から上流方面を眺める

員弁川を渡ったところで元の街道に戻りました。ふと気づくとマンホールの図柄がこれまでと変わりました。自治体が変わったのでしょう(朝日町)。この先に縄生(なお)の一里塚跡がありました。ここはそれを示す石柱のみです。

本の街道(の続き)に戻ります。しっかりと「東海道」の標識が見えます
縄生の一里塚跡

お昼時が迫ってきました。ときどきコンビニを見かけるくらいで、飲食店などをほとんどみかけません。こういうときはひもじい思いをしないために飲食店を見つけたら入ろうと決めていました。そう考えながら歩いていたところ、近鉄朝日駅の近くにいい感じの飲食店がありました。迷わずここでランチ休憩としました。ちょうど12時でした。

このお店はランチタイムは「日替わり弁当」一択ですが、このお弁当が絶品でした。この内容に味噌汁もついて700円はお得過ぎです。いい時間にいいお店に巡り会えました(「食事処日乃出」さん)。地元の人々で賑わっている感じです。食事を終えて出てみるとお店の前に「完売」が掲示されていました。その意味でもいいタイミングで食事できたようです。

日替わりのお弁当700円。これはお得です!
お店から出てきたら「完売」でした。食べられてよかった

12時45分頃にウォーキングを再開しました。近鉄朝日駅近くの広場には旧東海道の名碑が立てられていて、奥には一里塚を模したような小規模な山がありました。街道を意識して作ったものと思われます。

近鉄伊勢朝日駅近くの公園

この先に足を進めていくと、進路が左斜めに進むところに微妙に折れ曲がった案内標識を発見しました。わかりやすいような気もするし、逆に気づいてもらえなさそうな気もする微妙な表現です。工夫しているのだとは思いますが。正面には別の案内も掲示されていました。おそらく間違いやすいポイントなのだと思います。

折れ曲がった東海道の標識。意味伝わるかな?
突き当りには別の掲示もありました。間違えやすい場所なのかもしれません

この先には桜並木がありましたが、まだ花は開いていません。おそらく1週間後くらいには見頃になるのではないでしょうか。花見の準備と思われるテントやブルーシートなどが準備されていました。

桜並木ですがまだ咲いていません

朝明川という川を渡ったところで四日市市に入ったようです。どうもこのあたりは市境がはっきり表示されていないようです。現代の何車線もあるような国道には明示されているのかもしれませんが。写真のような掲示を見て市境を通過したことがわかりました。

朝明川は水が澄んでいました
「ここから四日市」の文字が見えます。市境を通過したようです

さらに進んでいき、近鉄およびJRの富田駅(とみだ)に近いエリアに入りました。そろそろ一里塚があるはずだと思って歩いていると、その名も「一里塚橋」という橋を通過。橋の先、道路の右側に大きめの石柱がありました。「富田の一里塚址」と書かれています。一方で、説明版には「一里塚跡」と書かれています。こういう表記は一致させてほしいけれど、細かいところは気にしない方がいいのかもしれません。

塀に埋もれたポスト
ふっかちゃんが来る!やるね、埼玉!
一里塚橋を渡ったところに…
富田の一里塚阯がありました
津市道路元標から十里の標柱もありました

富田の街中で良さげな和菓子屋さんがあったので、ここでいちご大福を購入しました。道中でいただきましたが、美味しい大福でした。いちご(紅ほっぺ)が絶品です。お店は「精華堂」さん。

和菓子屋さんでいちご大福を購入。美味しくいただきました
近鉄富田駅近くにあった「富田の焼蛤」の説明板。これは知らなかった。焼蛤は桑名の名物ではなかった!
十四川堤の桜並木。たぶんここもきれいなのでしょう

富田の街並みを離れていくと、徐々に道路が広くなってきました。四日市といえば小学校から習うように工業地帯で有名です。工場があるということは輸送も必要になるので、そういう目的で拡幅されてきたのではないかと想像します。広い道路の脇に常夜灯が残っているなど、時代の変化にもかかわらず史跡を残す意思が感じられて、嬉しくなります。

徐々に道路が広くなってきた
道路の脇に常夜灯

そして大きな松の木が見えてきました。「かわらづの松」と呼ばれているそうです。元々は松並木だったそうですが、この地区ではこの1本だけが残されたとのこと。樹齢200年を超える松で、他は道路の拡幅や松喰い虫の影響で消えてしまったようです。松並木の松は四日市市内にはもう1本を残すのみだそうです(この後で出てきます)。

かわらづの松
同説明版

いったん国道1号に合流します。正直にいってあまり面白くない国道1号ですが、進んでいくと旧東海道は左に分岐します。分岐して海蔵川に突き当たるところに一里塚跡がありました。こちらは「三ツ谷一里塚跡」です。川を渡らないといけないので、国道1号に戻り、対岸に出ます。先ほどの続きのような場所から旧東海道は南に向かって進みます。

国道1号に合流しますが、あまり面白くない…
ここで左に分岐します
川に突き当たったところに三ツ谷の一里塚跡
迂回して国道1号で海蔵川を渡ります(橋の名は不明)

四日市の市街地に入ったようです。道の両側には商店や住宅が立ち並びます。ただ、道幅はセンターラインを引けない幅で、街道の雰囲気が残されているといえるのではないでしょうか。このあたりも和菓子屋さんが多く、洋菓子屋さんも見かけたような気がします。三滝川を渡る三滝橋を渡るとさらに市街地の雰囲気になりました。立ち寄りたくなるようなカフェなどもありました。

四日市の市街地が近づいているようです。このあたりも和菓子屋さんが多かった印象です
三滝川を三滝橋で渡ります

街道は急にカーブして国道1号を渡るのですが、少し前方に迂回して横断歩道(諏訪神社前)を渡る必要がありました。横断歩道の前で信号待ちをしているときに聞こえてきた隣のひと立ちの会話も旧東海道にまつわる話でした。いま、同じ目的でここにいるようです。

横断歩道を渡ったのち、少しだけ国道を戻ったうえで商店街に入ります。ここは旧東海道がアーケード街(スワマエ商店街)になっている珍しい場所です。アーケードにも旧東海道の装飾が施されていました。アーケード街が終わったところで現代の道路に阻まれて旧東海道を直進できなくなりました。迂回して国道1号の横断歩道を渡りました。その先、四日市浜田郵便局の前でいったん休止。ここで休憩にします。16時少し前でした。

諏訪神社近くで国道1号から分岐して商店街に入ります
旧東海道としては珍しくアーケード街を通ります
こにゅうどう君だったかな? ちょっと怖い…

この日宿泊するホテルがこの近くでした。既に時刻が15時をまわっているので、先にチェックインすることにしました。手続き後、フロントにあったコーヒーをいただき、部屋に入りひと休み。30分ほど休憩をとりました。もう四日市宿のエリアに入っているので、ここで終了してもよかったのですが、まだ明るいうちに1時間程度は歩けそうです。目標として四日市を走る「あすなろう鉄道」の終点・内部駅(うつべ・えき)近くまで進むことにしました。

宿泊するホテル近くでいったん休止

16時40分、先ほどの郵便局前から再開しましたが、荷物が軽くなったことといったん休憩したことで動きが軽やかになりました。センターラインを引けない道幅の道路を進んでいきます。日永というエリアに入りました。実は6年ほど前に日永駅には来たことがあります。

再開します。夕方が近づいてきた雰囲気です

この近くの四日市中央緑地公園で開催されたマラソン大会に参加したことがあり、そのときに日永駅を利用しました。おそらく旧東海道を横断するようにして公園にアクセスしたはずです。あまり記憶には残っていません。

日永駅を過ぎると一里塚があるはずと思って探していると、無形文化財である「うちわの製法」についてのパネルがありました。こういうのは歩いてみないと気づかないところで、嬉しい説明版でした。さらに進んだところに同じようなパネルがあり、こちらが一里塚跡でした。本日4つ目の一里塚です。パネルの他に石柱もありました。この一里塚で、江戸から百里とのことです。約400kmということになります。旧東海道の一里塚は全部で125カ所と聞いていますので、全体の8割程度を進んできたことになります。残り2割、がんばりましょう。

日永うちわの説明板
日永の一里塚は江戸から百里。ひとつの節目ですね

一里塚を過ぎて進んでいくと大きな松の木が見えてきました。きょう「かわらづの松」のことろで2本だけ残っているとの記述を見ましたが、こちらがもう1本の松になります。こちらは「名残りの一本松」と呼ばれているそうです。

名残の一本松

このあたりは車の通行量が非常に多く、しかもスピードを落としていない車も見られ、歩いていて少し恐怖感がありました。薄暗くなってきているので、余計にそう感じたのかもしれません。近くにショッピングモールがあるので、時間帯からいって買い物の車が裏道的に利用しているのかもしれないと思いながら、歩いていました。

その先で旧東海道は国道1号に合流しますが、そのすぐ先で再び右に分離します。ここが東海道と伊勢街道の分岐点「日永の追分」になります。旧東海道のなかでも著名な場所です。鳥居や常夜灯などが設置されているのが見えましたが、暗くなりかけてきたので先を急ぎました。

国道1号に合流します
日永の追分

旧街道らしい道幅のまま先に進んでいきます。何度かのカーブを繰り返して、本日の目標地点、内部駅に近い交差点に到着しました。時刻は18時20分で、かろうじて明るさが残っていました。春分の日を過ぎているので、少しずつ日が長くなってきています。約21.5kmの行程でした。

追分を過ぎると何度かカーブを繰り返しながら進んでいきます
ここは右へカーブ
ここは左へカーブ
内部駅近くの小古曽三丁目の交差点。ここで終了します

このあとは「あすなろう鉄道」で四日市に戻りました。四日市駅近くの中華で四日市名物の「とんてき」をいただきました。ビールと餃子と炒飯も一緒にいただきました。普段は食べない種類と量の食事ですが、20km以上歩いたのでいいですよね。ごちそうさまでした。

今回の続きは次の遠征で。明日はウォーキングではなく、奈良に移動してサッカー観戦です。