旧東海道ウォーク(21) 磐田駅~浜松宿

夜行バスで浜松へ移動。朝6時前に浜松駅前に到着しました。よく眠れたような気がしていますが、実際はどうだったのでしょう。JRの駅からは少し歩きますが、遠州鉄道の駅前にあるマックが朝6時から営業していることがわかっていました。さっそくマックで朝ご飯。深夜バスではまったく動いていないのに割とお腹が空いていました。ついでにマックの洗面所で軽く洗顔のみさせていただきました。

朝食後、荷物を浜松駅構内のコインロッカーに預け、電車で本日のスタート地点に移動。磐田駅近くの交差点が旧東海道ウォーク、本日のスタート地点です。ここから浜松を目指します。浜松に着いたらコインロッカーから荷物を取り出し、浜松で一泊するという予定です。

駅でトイレに寄ったりして少し時間がかかり、磐田駅前をスタートしたのは7時半くらいになりました。浜松までの距離はおよそ14km。午前中のうちにかなりの行程をこなせそうです。

磐田駅前の交差点をスタートします

まずは西に向かって歩き始めます。ときどきですが、傘がいらない程度の雨が降っていました。この歩き旅は今回が21日目になりますが、意外なことに雨には降られていません。というより天気予報が悪い日は取りやめて延期したりしていました。今回の雨は予想外でした。

とはいえ歩くのに支障のある雨ではないので、気にしないで歩きました。道路左側に「くろん坊様」という祠(?)が現れました。地域信仰の一種らしいですが、インドから渡来した僧侶を祀ったもののようです。

道路右側には一里塚跡がありました。宮之一色一里塚です。ここはしっかりと塚を再現した小山のうえに一里塚跡を示す石版が建てられています。これくらいにはっきりした痕跡があれば見落とさずにすみそうです。

宮之一色一里塚

そのまま直進していき、右側に長森立場跡の立柱が見えたら旧東海道は右折します。右折したらすぐに左折して天竜川に近づきます。天竜川はこの夏に長野県の天竜峡でも見ていますので、3か月ぶりの再会です。

長森立場跡

本来は渡し船で天竜川を渡るはずですが、今回の歩き旅では「天竜川橋」を渡ります。実際の渡し船はもう少し上流だったようです。その天竜橋ですが、歩いてきたルートから最も近い(下流側)天竜川橋に歩道がなく、歩くには適していないことがわかりました。そこでもう1本上流の新天竜川橋を渡ることにしました。ほぼ並んでかけられている橋になります。「人力」さんのサイトが示すルートとは違いますが、現地の交通状況を優先して判断します。新天竜川橋には歩道がついていて安全に歩けます。1km弱くらいの長い橋でした。水量が多かったのかどうかはわかりません。

天竜川橋は歩道がありません
歩道がある新天竜川橋を渡ります
天竜川を眺めます
橋を渡り終わったところで浜松市に入ります

橋を渡った対岸で旧東海道の続きに入るルートが諸説あって難しいところでしたが、現地の看板に合わせて進みました。これでよかったのかどうかわかりません。

橋のたもとをどう進めばいいかはっきりしなかったので看板に従いました

再び川を背にして歩き始めると「中野町銀行跡地」の立柱がありました。ここに銀行があったらしい。跡地を示す看板によると煉瓦造りの建物の痕跡があるとのこと。よく見てみると、道路から少し入ったところに確かに煉瓦の跡が見えます。看板が無かったら見逃すところでした。

銀行跡を示す立て札
よく見るとたしかにレンガの跡があります

このあたりでは、道路の幅は何となく昔の街道時代のままのように見えます。軽便鉄道が通っていた立柱がありますが、これは街道だった時代の話ではなさそうです。だとしてもこの地に鉄道が通っていたというのは興味深いところです。

軽便鉄道跡

そのまま進んでいくと、そしてときどき出てくる「この人は誰だろう」の場所に出ました。金原明善翁とは誰か。天竜川の治水に貢献し、後に北海道の開拓にも貢献した実業家とのこと。この場所で出会わないと知ることのない人物に出会えるのも、歩き旅の楽しさのひとつかもしれません。

金原翁の生家を過ぎて、そろそろ一里塚の跡があるはずとキョロキョロしながら歩いていたところ、ありました。目立たない一里塚跡です。意識して歩いていれば見逃すことはありませんが、ぼーっと歩いていると見逃しそうです。もう少し目立つように整備していただけないかと思います。

金原明善翁とは誰か? こういう謎っていいですね
安間一里塚跡。これは目立たない…
街道っぽい松が植えられています

ほどなく、ここまで歩いてきた道より幅が広い県道に合流しました。ここまでは昔の街道の道幅が残っている感じでしたが、ここからは片側2車線の現代の道になります。バス停の名称を見ると「子安」というバス停がありました。この先には「新町」もあるようです。何だか居住地の京急沿線っぽい感じで親しみがわきます。

京急っぽいバス停

子安の先には蒟蒻店がありました。蒟蒻に特化したお店なのでしょうか。蒟蒻の産地群馬出身の筆者でも初めてお目にかかりました。

あまり変化のないまま片側2車線の道路が続きます。歩道がしっかりとあるので歩きやすいのですが、あまり街道を歩いている感じはしません。歩道の脇に一里塚を示すパネルがありました。先ほどの柱よりは目立ちますが、ちょっと寂しい気がします。

菎蒻店とは珍しい
馬込一里塚跡。さきほどの標柱よりマシですが、これでも目立たない…

そのまま進んでいくと、どうやら浜松市の中心街に入ったようです。ビルの数や密度が都会風になってきました。新町のバス停を過ぎ、遠州鉄道の下をくぐると「田町」交差点です。田町交差点でいったん終了して、ランチに向かいます。時刻は11時17分でした。

浜松の中心街に入ったようです
再び京急っぽいバス停
田町交差点。ここでランチ中断にします

ランチに向かいますが、行き先は事前に決めていました。浜名湖の北側にあたる気賀にある老舗うなぎ屋さん「清水家」さんです。バスで1時間ほどかかります。実は四半世紀ほど前に二人で伺ったことのあるお店です。まだ独身時代です。伺ったその日は何と「隣のお葬式のため」という超レアな理由で臨時休業でした。仕方なくクルマで通りかかった別のお店で鰻を食べました(お店も味も覚えていません)。今回、満を持して再訪し、無事に鰻重にありつけました。念のためバスに乗る前に電話で営業中であることを確かめましたが(笑)。オーダーしたのは特上鰻重。このあとすぐに特上は品切れになっていました。ありつけてよかった。オーダーから15分ほどで提供されました。重のふたを開けると香ばしいかおりが漂います。口にしてみるとふんわりと焼き上がった鰻もすばらしいし、絶妙なたれもすばらしい。焼き方もすばらしいのでしょう。もう当分の間、他の鰻を食べる必要がない気持ちです。この幸福感を上書きしたくないので。最高の鰻をいただき、雨が少し降り始めた気賀の町を少しだけ散策後、再びバスに乗って浜松市街地に戻りました。

清水家さんの特上鰻重。最高の鰻重でした。この味の記憶を上書きしたくない

帰りは乗車した地点より少し手前のバス停で降りました。浜松城にほど近い市役所前のバス停です。ウォークの再開前に浜松城を訪問します。ここは家康公の地元。岡崎、駿府といった城跡には訪問してきましたが、ここは初訪問です。この訪問で家康公にかかわる城をコンプリートした気分です。城郭に上り、保存状態のよい石垣を堪能し、天守(再現)にも入城しました。最上階からは市内一帯を眺望できます。浜松城は「続日本100名城」にも指定されています。スタンプも無事ゲットしました。

バスを降りて浜松城を見上げます
石垣の保存状態は良さそうです
再建天守に近づきました
天守最上階からの眺め
別角度(門)から天守を眺める

浜松城から歩いて田町交差点に戻りました。時刻は16時頃でした。ランチと城で意外と時間を使ってしまいました。ここからウォークを再開します。田町交差点の次の大きい交差点は「連尺」でした。田町の隣が「れんじゃく」。筆者の出身地・高崎の「れんじゃく」は「連雀」という漢字を使いますが、語源は一緒でしょう。高崎の連雀町も田町の隣です。親しみを感じます。連尺交差点を左折して浜松駅に最も近い交差点(駅南大通りとの交差点)で本日の行程を終えました。再開後はわずか15分です(笑)。

田町交差点に戻り、ウォークを再開。屋根付きの商店街です
連尺交差点。旧東海道はここを左折します
本陣跡。宿場であることがわかります
本日の行程はここで終了します

浜松駅のコインロッカーに荷物を取りに行き、先ほど本日の行程を終えた交差点近くのホテルにチェックイン。効率良いような悪いような、よくわからない位置関係です。

ホテルで少し休んだあとに食事にでかけました。ホテル近くのスーパーで総菜とお酒を購入しようかと思ったのですが、ここは食材に特化したお店で、総菜や冷えたビールなどは置いていませんでした。他のスーパーを探しているうちに、軽く浜松餃子を食べてホテルに戻るのも良いかと考え直しました。あまり調べずに入った繁華街のお店で餃子とビールを楽しみました。意味がわかりませんが、真ん中に「もやし」乗っているのが浜松餃子です。ビールとともに美味しくいただきました。

静岡麦酒と…
もやしが乗った浜松餃子をいただきました

ホテルに戻り、コンビニで買った追加のお酒と「かにぱん」。製造元の三立製菓は浜松の会社です。翌日に備えて早めに就寝。

追加のお酒とかにぱん