与論に向かうフェリーは朝7時に那覇港を出ます。朝6時半にはフェリーの乗船手続きを終えたいので、5時半に起床。念のためフェリー会社のサイトで情報をチェックしたところ、特に何の記載もなく、通常通り運航されるようです。すぐに身支度を整えて午前6時にホテルをチェックアウトしました。徒歩5分くらいで那覇港に着いたところ、既にたくさんの人が受付窓口で並んでいました。筆者はWebで予約し、クレジットカード決済済みなのですが、それでも列に並んで窓口で乗船手続きをする必要がありました。これでは事前決済した意味があまり無いですね。万一の事故などを考えると乗船した乗客をしっかり把握する必要があるのだとは思いますが、それでも事前にWeb手続きで何とかできないものだろうか、と思いました。
受付を済ませたら既に乗船が始まっていました。2等客室つまり雑魚寝部屋ですが、多数の乗客が見込まれているためか、番号札が配られて指定席になっていました。筆者の指定された場所に間違って陣取っている人がいましたが、自分の場所に移動してもらいました。いつもの遠征に比べて宿泊日数が多く荷物が重いので、ここで荷物を置いて身軽になれました。予定の午前7時を少し回ってから那覇港を出発。与論島到着は少し遅れるかもしれません。
港から外洋に出るとフェリーはかなり揺れ始めました。やはり気象条件はそれほど良くないのでしょう。船内を歩くだけでも相当の揺れを感じるレベルだったので、航行中にデッキに出るのはやめておきました。
客室で前夜に買っておいた朝食を取ることにしました。沖縄の製パン会社の製品で、なかよしパン(ぐしけんパン製造)とゼブラパン(オキコパン製造)です。同行者と半分ずつ食べましたが、両方とも700KCalオーバーの強者でした(笑)。
今回の船内ですが、周囲に喧しい客がいて辟易として過ごしておりました。酒飲んで騒ぐのはロビーやデッキでやってほしい。船室は休む場所です。今回は本格的に寝るつもりはなかったのですが、しっかり睡眠を取りたかったお客さんもいたはずです。自分たちだけよければいいのでしょうか。大人として恥ずかしい行為だと思います。本部港に寄港中にフェリーのなかを歩き回ってみたところ、デッキで酒盛りしているグループもいましたね。客室の連中もデッキでやってくれればいいのに。でも、これだけ船が揺れるなかでデッキで酒盛りというのもどうかと思いますが。
本部港出航後、少しだけウトウトしましたが、やはり周りの喧噪で目が覚めてしまいます。ホントにうるさいグループでした。まあ、それだけ読書時間にできたので良しとするしかありません。読書するにもうるさいレベルでしたが。
与論港には20分くらい遅れて正午過ぎに無事入港、接岸しました。4年半ぶりのヨロン上陸です。秋のヨロンは初めてです。風が強く、思ったより気温が低い感じで肌寒く感じるほどでした。
予約した民宿のご主人にクルマで出迎えてもらいました。民宿は港からおよそ15分くらいの場所でした。チェックインを済ませ、民宿近隣のスーパーでお昼を調達。購入したのは
「おかず」と「赤飯」。商品名が「おかず」って珍しいですよね。でも美味しいおかずでした。お弁当も美味しいのだろうなあ。このスーパーは滞在中、重宝しました。
食事後は民宿から徒歩30分ほどの与論城を散策しました。高台にあるため見通しがよく、海の向こうに沖縄本島が見えます。与論はかつては琉球王国の版図に入っていた島です。1400年代に琉球の北山王が命じて築城を始めましたが、その北山が滅亡に追い込まれたため築城の途中で中止されたものと聞いています。現在は鹿児島県に属する与論ですが、文化的には琉球(沖縄)に近いものを感じるのも無理ありません。ここにあるヤンバルクイナは沖縄との友好の証として作られたもののようです。
与論城の敷地内に築かれた神社(地主神社、琴平神社)を参拝し、翌日の大会の安全と成功、そして遠征の無事を祈願してきました。昼に寄ったのとは別のスーパーに立ち寄るなどしながら宿へ戻りました。
夕方からは大会の「ウェルカムパーティー」に参加しました。4年前のパーティーでは食事はそれほどの量ではなかったのですが、今回は意外とお腹いっぱいになりました。友好都市である南島原町から提供されたソーメンがお腹に溜まった気がします。それはさておき、与論献奉と歌と踊りと存分に楽しませていただきました。毎回のことではありますが、みなさん、本当に明日走るのですよね……。
宿に戻り、すぐに入浴。と思ったら湯船にお湯が無い。あまり湯に浸かる文化は無いのかもしれません。お湯を入れて入りました。ちなみに、シャワーのお湯の出方が微妙な感じでした……。
寝酒を飲んで(←まだ飲むんかい!)早めに就寝。翌日に備えました。















