旧東海道ウォークの続きです。今回はJR新居町駅前(新井宿より少し手前になります)をスタートして、新井宿、白須賀宿、二川宿を通って吉田宿まで歩きました。
スタート地点の新居町駅へは自宅から早朝の新幹線でアクセスしました。新幹線を豊橋で降り、宿泊予定のホテルに荷物を置かせてもらいました。身軽になって駅へ戻り、在来線で新居町駅へ移動。豊橋から20分弱の移動時間でした。
8時45分頃、新居町駅前からウォークを開始しますが、すぐに新居関所跡に到着します。関所跡の見学は9時オープンということで、入口前で少しだけ待ちました。関所跡では資料館と再現された建物などを見学しました。この関所は船便で通行する旅人を検査する「海路関」です。現在は舞阪方面から陸路で渡れますが、旧東海道の時代は舞阪方面とか海路でつながっていたようです。歩いているだけでは気づかないポイントでした。
約1時間ほど見学に時間がかかってしまいました。関所前から再開しますが、すぐに紀伊国屋に到着します。関所跡の資料館で購入したチケットはこことの共通入場券だったので、こちらも見学させてもらいました。旅籠の跡です。
30分ほど見学後、再開しました。見学だけで1時間半ほども時間を費やしてしまいました。少し時間をかけすぎてしまった感があります。突き当りを左折して、少し歩くと一里塚跡に出ます。標柱とパネルによる説明のみで、塚の痕跡は見当たりません。
一里塚の先を右折、左折、再び右折して西に向かいます。ここは歩道のある片側一車線の道路を進み、「橋本西」交差点で旧東海道は右に分岐します。ここからは歩道がありません。しばらくは住宅街を進んでいきます。徐々に住宅が減ってきて、田園風景に変わってきます。一部には歩道があり、松並木が再現(?)されている場所もありました。
ひたすら歩いていくと、自販機でお菓子が売られているのを発見。こういう自販機が成り立つのはこの道路沿いにコンビニが無い証左とも言えます。今日は出発した駅前以降、コンビニを見かけていません。
さらにしばらく歩くと農地や並木跡ばかりだったところに、徐々に住宅が増えてきます。民家の軒先をすすむイメージで西に進んでいくと、「潮見坂」のたもとに出ます。ここで旧東海道は右折して、急坂を上ることになります。しっかりとパネルで案内されているので、見落とすことはないでしょう。潮見坂の途中で振り向くと、たしかに太平洋が見えます。それで「潮見坂」。京方面から江戸に向かうと、最初に太平洋が見えるのがこの場所にあたるとのこと。たしかに七里の渡しは海路とはいえ湾内(港内)なので太平洋ではないですね。
急坂を上りきったところに「おんやど白須賀」があります。ここは白須賀宿の見学施設で、筆者たちも展示物を見学させていただきました。災害(津波)により坂の下にあった宿場が壊滅的な被害を受け、坂の上に移転したことを学びました。いつの時代も日本は災害と向き合いながら暮らしていかねければなりません。心しておきます。施設のスタッフからみかんをいただき、美味しくいただきました。
資料館を見学後ウォークを再開しましたが、少し進んだところにあるカフェ「南天」さんに立ち寄りました。時刻は12時を過ぎたところで、ちょうどランチタイムです。いただいたのは日替わりのランチですが、720円とは思えない内容と分量でした。この値段で食後のコーヒーまでついています。ごちそうさまでした。機会があればまた立ち寄りたいお店でした。
ランチを美味しくいただき、気分良くウォークを再開します。白須賀宿の雰囲気を残す宿場跡を見ながら坂を下ります。民家や店舗の軒先には宿場時代の屋号が掲げられています。業態までわかるので良い試みだと思います。「境宿」というところで白須賀宿は終了します。ほどなく湖西市から豊橋市に入ります。「境川」という川が境界線になっています。これにて静岡県が終了して愛知県に入ります。2023年のGWに箱根峠で静岡入りしたので、およそ1年半かかったことになります。静岡県は広いと実感しました。また東西に長いので文化や歴史もそれぞれ違っていることにもなります。そういう違いの一片だけですが、歩きながら体験できた気がします。具体的に言うのは難しいですが。
豊橋に入ると有明製菓の看板が見えるなど、豊橋らしい光景に変わります。ちなみに、この日はずっとそうでしたが、向かい風が強く、目が痛いほどでした。風そのものが乾いているのと、農地の土が巻き上げられて目に入り痛いのかもしれません。これは季節柄仕方ないのかもしれません。
この先ではいくつかの一里塚を通過します。まずは細谷の一里塚。実はこの一里塚跡を探して何度かいったりきたりしてしまいました。地図上の情報と少しずれがあったか、筆者が資料を見誤ったか、どちらかでしょう。説明パネルのみ撮影しましたが、ここは塚そのものが残されています。全体像の撮影をしそこないました。
この先も国道1号をひたすら北上(北西ですが)していきます。相変わらず向かい風が激しくて、言葉が少なくなりました。やがて東海道新幹線と並走するようになります。そして二川のガードをくぐって新幹線の北側に出ます。踏切をわたり、在来線に沿って歩いていくと二川宿の街並みが始まります。入口には二川の一里塚跡がありました。二川宿は宿場の雰囲気を残しているようで、道幅も建物も街道の雰囲気を感じます。
そのまま直進してJR二川駅の前を通過し、突き当たりを右にカーブしますが、このあたりで二川宿は終わります。カーブの先の交差点から急な上り坂が見えたので、この急坂を上るのかと思ったら、街道はその左に進む(坂ではない)とわかって一安心しました。
この先は岩屋緑地の東側から北側に回り込むように進みます。国道1号の北側を少し遠回りしながら進んでいくイメージです。さらに進んで国道1号と旧東海道が合流するところにある三角地帯みたいなところに飯村の一里塚跡がありました。少しわかりにくいかもしれません。ここも一里塚の痕跡はなく、標柱のみでした。
この先は国道1号の歩道をひたすら北上(実際には北西)していきます。全国チェーンのお店ばかりであまり目立った特徴がないのですが、一箇所だけ立派な三重塔が見えました。次第に薄暗くなってきたので先を急ぐため、写真を撮影しただけで通過してしまいました。跡から調べると壽泉寺という寺院で、延命地蔵尊が有名らしい。立ち寄ればよかった…。
さらに進んでいくと豊橋の市電が走る通りに出て、ここには歩道橋があります。ここから豊橋の曲尺手が始まりますが、反対側の歩道にいかないと先に進めません。やむを得ず歩道橋をわたりました。ここには吉田宿の東惣門跡があります。ここから曲尺手です。曲尺手(かねんて)は城郭の近くに見られる、街道が右に左に直角に曲がるのを繰り返す道筋のことをいいます。城郭の守りだったり、参勤交代の列が出会わないようにするための工夫だったり、いろいろな理由があったようです。ここまででは掛川城の近くがそうでした。ここは吉田の宿場が吉田城の城下町を通ることでそうなっているのでしょう。
吉田宿の曲尺手は現在では豊橋の市街地にあたりますので、商店が並ぶ街並みもあれば、住宅地もあります。市街地化されているエリアなので、空はだいぶ暗くなってきたているものの、真っ暗ではありません。ある程度安心して歩けます。
何度か角を曲がって街道が北上する地点で本日は終了としました。吉田宿の範囲内にありますが、これ以上進むと駅近くの宿泊予定のホテルから遠ざかってしまうためです。終了地点は松崎公園の北東側、ファミリーマートのある交差点です。
GPSのデータによると合計23kmくらい歩いたようです。一日の歩行距離としては上出来です。ただ、次の御油宿に近いところまで進んでおいて、翌日は岡崎に少しでも近づいて終わることを意識していたので、この点は少し残念でした。スタート直後の新居関所跡で時間をかけすぎた気がします(笑)。でも、ここを短く切り上げていたらお昼のお店に出会わなかったはずで、それはそれで良かったのだと思うことにします。
ホテルにチェックイン後、豊橋の繁華街へ。お店がどこも満杯のところ、ようやく空席のあるお店を見つけました。予約の方が現れなかった模様で幸運でした。美味しい料理をたべつつ日本酒をオーダーしたら出てきたお酒は群馬の地酒「水芭蕉」でした。美味しいから出しているとのこと。群馬県人として、遠く離れたお店で故郷に出会うような気持ちで、本当に嬉しく感じました。もちろん美味しくいただきました。料理のなかではメヒカリの唐揚げが絶品でした。お店は「豆の木」さん
コンビニに立ち寄り、デザートを購入後ホテルに戻り、2次会とデザートで一日の行程を終了しました。











































