旧東海道ウォークも最終盤に差し掛かっています。今回のスタートは前日に甲子園で初勝利を飾った綾羽高校の地元草津です。本格的に暑くなる前に終わらせたかったのですが、同行者や筆者自身の体調不良があったりして、最も暑いこの時期になってしまいました。今回は2泊3日の旅程ですが、まずは大津宿を目指して歩きました。
新幹線で京都へ。在来線に乗り換えた後、宿泊予定の大津のホテルに荷物を置かせてもらい、すぐに草津へ移動。駅から徒歩10分くらいのスタート地点に向かいました。ここは中山道と東海道の合流点になります。
朝10時過ぎのスタートになりました。この時点では思ったほどの気温ではなく、スタートは順調でした。本陣跡など宿場らしい雰囲気を残した街道を進みました。建物に宿場だった当時の商家や役人宅などの表記があり、昔を偲ぶことができます。そして小学校に飛び出しくんが設置されているのはさすがです。過去のストリートビューを見ると、このあたりの旧東海道は全面的にアーケードに覆われていた時代もあるようです。これはアーケードを外して正解だった気がします。道路の魅力としては向上したのではないでしょうか。単に通過しただけなので、細かい事情はわかりませんが。
野地の一里塚跡は公園内にありました。街道が公園を通るというより、街道自体が公園として整備されています。公園を過ぎると大きめの県道を渡るのですが、ここには横断歩道が無いのでやむを得ず迂回して渡りました。
弁天池という池のほとりを歩きました。びっしりと水草が生えているのですが、その中に何かが動いているのが見えました。じっくり見ると、魚が何か餌を求めて口をパクパクしているのだとわかりました。水草のなかに虫かなにかいるのだと思います。池に浮かぶ島には弁天が祀られていました。
足を進めていくと月輪池の一里塚跡の石碑がありました。ここは学園通りと名前のついた道路を渡る、その交差点にあります。一里塚跡の石碑のなかでは最大級のサイズ感です。
旧東海道は左折して南下していきます。途中、歩道のない道路があり、ここは歩きにくく感じました。車道をひっきりなしにクルマが通過しているので、すれ違う際にわたしたちが邪魔に感じているのでしょう。何か睨まれているような視線を感じました。一本左側に側道のように道路が通っているので、こちらを通れば良かったのかもしれませんが、旧街道をトレースする方を優先しました。
スーパーに立ち寄り、総菜やお弁当などを「視察」。安い総菜などもあって魅力的でしたが、食べる場所も無いので購入せずに退出しました(←だったら入るな……笑)。
右折して西方向に進むと、北東から南西に走る大きめの県道に合流しました。この県道を進んだ先にあるお店「ケンゾウ」さんでランチをいただきました。今回はこのあたりをお昼時に通ると見込んで、お店を事前に調べていました。オムライスの専門店のようで筆者は「昔ながらのチーズオムライス」を選択しました。卵焼きの中にチーズが仕込まれていてケチャップライスとよく合っていました。ブラックペッパーの香りも加わって美味しいオムライスでした。ちょっと塩分が強かった気もしますが、汗をかくウォーキング中なので問題ありません。
お店を出てウォーキングを再開します。時刻は13時40分くらいで、一日のうちでも最も暑い時間帯です。比較的穏やかな暑さだった午前中に比べて日差しが強くなり、かなりの暑さを感じるようになりました。ほどなく瀬田の唐橋に到着しました。日本三大橋とか三名橋とか言われている名橋です。以前は国道1号の一部でしたが、現在は新しくかけられた瀬田川大橋にその地位を譲っています。とはいえ琵琶湖を発する瀬田川を渡る交通の要衝であることは変わらず、多くの車両が行き交っていました。橋の両側に歩道があり、歩行者も安全に通行できます。比較的最近になって塗り替えや右折車線の整備など行われたようです。
橋を渡ると琵琶湖の西岸に出ます。こちらを北上していくイメージで、この日の目標である大津へ向かいます。気温が高いのでできるだけ日陰を選んで進むようにしました。このあたりは商店や小規模のビジネスビルが立ち並び、街歩きのような楽しみ方になります。時間帯によってはビールなどのアルコールも楽しめそうな街並みでした。
JR石山駅近くで高架上の線路をくぐりましたが、実は石山駅近くでは駅によって旧東海道が塞がれるかたちになり、現代の道路とは少し違ったルートだったようです。ここは正確にトレースできないので、そのまま北上しました。
このあたりが粟津の一里塚のはずですが、痕跡や石碑などを見つけることはできませんでした。鉄道が惹かれたり、それによって道路が敷き直されたりしたことで、正確な場所がわからなくなったのではないかと想像します。
ここを過ぎると街の雰囲気が少し変わりました。ここまでは商店が立ち並ぶ感じでしたが、ここから先は工場や学校など大型の施設が並ぶようになってきました。旧東海道のルートは琵琶湖の湖岸から少し距離を置きながらも湖岸の形状に沿うようにくねくねとカーブを繰り返します。膳所城の総門跡などの標柱があり、こちらにも興味がありましたがそのまま進みました。
このあたりの旧東海道は京阪石山線の線路に沿っています。このため街道のルートが線路の反対側に出るたびに踏切を通過することになります。短い編成のラッピングされた電車を何度も見かけました。若宮八幡神社、篠津神社、和田神社など歴史ありそうな神社も多数あります。途中、喉が渇いたので自販機で飲料を購入。ノンアルのスパークリング日本酒風味のドリンク。これは初めて見ました。チェリオさんさすがです。
そのまま進んでいくと旧東海道が突然T字路に突き当たり、突き当りがお寺で、その境内をぐるっと迂回するように進む場所があります。響忍寺は膳所城の家老宅の跡で、膳所城の防衛上の施策で街道を迂回させているようです。地図を見て疑問に思いましたが、調べてみる価値があるものです。
響忍寺の迂回後に進んでいくと、義仲寺に差し掛かります。木曽義仲(源義仲)に由来する義仲寺ですが、「宇治川の戦い」に敗れた義仲が葬られたことに由来するお寺のようです。ここには松尾芭蕉の墓もあり、芭蕉の弟子である島崎又玄による「木曽殿と背中合わせの寒さかな」という句も知られています。
義仲寺の先にある古民家カフェ(soraさん)で一休み。今日の目的地である大津はもうすぐそこですが、かなりの気温だったので、いったん小休止しました。アイスコーヒーが美味しい。
休憩後、先に進みます。進行方向左側の先の方に滋賀県庁が見えました。びわ湖マラソンの前日に訪れたことがあります。その先に大津事件の場所を示す標柱がありました。ロシアの皇太子が日本の巡査によって急襲された事件。歴史の教科書に出てきます。その後処理で司法の独立が守られたということでも有名です。その現場です。
ここは既に大津宿の域に入っていると思われます。宿場跡であることを保存しようとする町並みになりました。京阪の路面電車が走る通りで左折して、路面電車に沿って進んでいくと大津宿の本陣跡がありました。
その先でJRの線路をまたぐ跨線橋で本日の行程を終了します。17時37分でした。東海道五十三次の最後の宿場である大津に到着しました。残りは京都・三条大橋までの約10kmですが、翌日の天気予報は大荒れです。さて、どうしたものか…。時刻はまだ17時台なので、このまま京都まで行ってしまおうかとも思いましたが、体力を考慮して自重しました。暗くなるまで進んでおくという手もありましたが……。





































